埼玉新聞

 

【3分間の聴・読・観!(28)】無言の映画と詩人のジレンマ 言葉の限界と希望を行き来する

  •  映画「ゴンドラ」(C)VEIT HELMERーFILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI

     映画「ゴンドラ」(C)VEIT HELMERーFILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI

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  •  映画「ゴンドラ」(C)VEIT HELMERーFILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI

     映画「ゴンドラ」(C)VEIT HELMERーFILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI

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  •  映画「ゴンドラ」(C)VEIT HELMERーFILMPRODUKTION,BERLIN AND NATURA FILM,TBILISI
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 山あいの村をロープウェイが行き交う。長く渡されたロープと小さく古い2台のゴンドラは村人の交通手段でもあるらしい。駅長は何とも性格が悪い男で、乗務員のニノに気がある。そこへ、もう1人の乗務員としてイヴァが働き始めた―。

 この映画「ゴンドラ」に登場する人物は誰もせりふを話さない。ファイト・ヘルマー監督独自の世界だ。人物がたてる物音やゴンドラが動く機械音など場面ごとに当然聞こえる音はそのまま存在する。無声映画ならぬ無言映画とでも言えばいいだろうか。

 人物の顔には喜怒哀楽も心の奥の声も表れる。スクリーンから聞こえない言葉を浮かび上がらせるのが、この映画を見る人の役割だ。しかし無理をして顔色をうかがうわけではない。語らなくても気持ちは伝わってくるから、むしろ心地よささえ感じる。表情の映画と呼んでもいい。

 日に何度も乗務ですれ違うニノとイヴァは、ゴンドラの外側に勝手に細工をしてニューヨーク行きの旅客機風に仕立てたり、火星ロケットに模したりする。同じロープから離れられるはずはなく、ただのいたずらだ。

 いたずらがエスカレートするにしたがって2人はお互いに熱い感情を抱くようになった。女性同士の恋もせりふがないまま描かれるのだが、まるで言葉を聞いているかのように、ニノとイヴァの切ない顔が胸苦しさを映す。

 いつも私たちを取り囲んでいる言葉が削ぎ落とされた空間でも、人は気持ちを伝え合える。そうであるなら言葉とは何だろう。私たちはさまざまな場で頭をひねりにひねって、伝えたい内容にしっくりくる言葉を考え、発する。気を遣って手こずる必要なんて、本当にあるのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、詩人の谷川俊太郎と伊藤比呂美の「対談集 ららら星のかなた」を手に取った。詩作70年を超える谷川が「オレ、ことばをあんまり信用してないんですよね」と話している〈「第5章……詩とことば(☆(ローマ数字2))〉。どういうことか。「言語でそれを言った瞬間から、もう本当の、生(なま)の真実ではなくなってしまう。詩は全部、そこがいちばんの弱点なんですよ」

 言葉は現実を写し取っているはずだが、それはあくまで声や文字で代わりに表現したものであり、現実そのものではない。「そのジレンマを生きているのが詩人」(谷川)というわけだ。

 対談する伊藤はある時には軽妙さをまといながら、重厚かつ本質に迫る問いを相次いで投げかける。自らを語り、相手の言葉を引き出し、最後に身体に染み込ませるような真剣勝負から目が離せない。

 谷川は言う。「もっと究極のところは存在(本文では傍点)にいきたいわけですよ、詩というものは」。ではその「存在」とは何か。そう掘り下げる伊藤への答えは「ことばで言えないものですよ」。

 伊藤はこんな尋ね方もしていて、声が聞こえるようだ。「谷川さんが表現なさろうとしたのって存在なんだろうなあ、と思うんですけど、全然、私たちに、(一語ずつピン留めするように)残すようなかたちで・ことばを・出してない・のかもしれない。そしてこの――何か、透明なところにどんどん行くような気がして。それって……お歳のせいですか?」

 言いがたさを分かっていながら、なお書かずにいられない。その根源を知りたいと思う。言葉の限界、言葉の希望…。私たちもまた、その間を行き来するのだ。

 寓話的な映画「ゴンドラ」には、実を言うと一つだけせりふがある。それは「OK」。どんな場面で出てくるかは見てのお楽しみだが、監督が選んだこのせりふは「世界共通で多くの人がわかる言葉にしたい」と考えたからだという。あえて言葉から離れた作品で唯一の言葉「OK」。肯定感に託す希望に思わず拍手したくなった。(杉本新・共同通信記者)

【今回の作品リスト】

▽「ゴンドラ」(ファイト・ヘルマー監督)

▽「対談集 ららら星のかなた」(谷川俊太郎・伊藤比呂美著)

 すぎもと・あらた 文化部を経て編集委員室所属。今回の作品に刺激され、「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(田村隆一「帰途」)という有名な詩の一節も頭に浮かびました。谷川さんの「もし言葉が」にも「黙っていた方がいいのだ/もし言葉が/言葉を超えたものに/自らを捧げぬ位なら」とあります。言葉との格闘は果てしないテーマです。

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