埼玉新聞

 

<月曜放談>新聞はいかに生き残るのか…今こそ埼玉の価値「再定義」を KADOKAWA会長・角川氏寄稿

  • 角川歴彦氏

 日本では明治維新以来国策として重厚長大の産業が尊重されてきた。1970年代には新聞や出版、放送といった「知識産業」の時代に移るといわれた。IBMからコンピューターが製品化され、これからは何かが変わると予感された。80年代になると、マスメディアとして社会に大きな影響を与えていたテレビや新聞は「情報産業」になった。この情報というものは、新鮮、膨大な量であっても情報のままでは価値を生み出さない。情報を分析整理したものが知識、知識を高度化したものが学問。その段階的ヴァージョンアップにこそ意味があった。

 特に新聞の使命は情報を活字に定着させ、「知識」にすることである。SNSで発信された情報は瞬間的に消え、忘れられていくが、新聞に掲載されれば共通の記憶となって蓄積されていく。

 また、時あらば混迷する社会に対しリーダーシップを取り、世論を醸成することも新聞の役割。記者の手に負えないところは、知識人や学者の力を借り、学問を裏付けて解説する。しかし、最近は知識人が表に立とうとしない。発言がネットで炎上することもあって、自信をなくしてしまっている。だから新聞は知識人を支えていかなければならない。

 ところで現在では、新聞など紙のメディアはインターネットのメディアに押されている。スマホがコンテンツの入り口になっている。スマホが発売された10年ほど前、それに気づく人は少なかった。まさに「革命」という名にふさわしい社会変化が私たちの前で起きたのだ。

 これまでKADOKAWAではテレビやビデオ、ゲームなどの情報誌が販売の上位を占めていたが、それらはデジタルに取って代わられていった。過去の栄光にとらわれていては、どこかで立ち行かなくなってしまうのだ。

 私は早い時期に、アニメも雑誌も書籍もスマホで読めるようにしようと、dマガジンを考えた。2010年に立ち上げたKADOKAWA直営の電子書籍サービス「ブックウォーカー」からは現在、1200社を超える出版社が約92万点の電子書籍を配信している。

 そうした時代の趨勢のなかで、新聞はいかにして生き残るのか。2次元コードを付けて動画配信をするなどデジタルへの対応は当然であろう。その上であるが、地域に密着している地方紙は全国紙よりも比較的有利だと感じている。読者との接点をどうやって増やすか、地方紙だからできることがあるからだ。

 埼玉には700万人もの県民がいる。埼玉新聞は700万人のための新聞として、どの世代に響き、どの世代に響いていないのか、それを突き詰めてほしい。そして既成概念を1回取り払ってみる。自分の立ち位置も昨日から今日へ、今日から明日へと変化し続ける。今こそ埼玉の価値を「再定義」をしてみるのも面白いのではないだろうか。

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