【3分間の聴・読・観!(29)】現実の闇を表現するセンスと希望 華やかさ、勇ましさの前で沈黙しない
戦闘地域から毎日、破壊された建物や逃げ惑う人々のニュースが流れてくる。人間の命と資源を何と無駄にしていることかと思う。勇ましく命令を下す側は後方にいて「自分たちの平和のため」という大義で人と街を攻撃するのだろう。そんな権力者と世の大勢に1人の人間が抗うのは難しい。だが無言ではなく異を唱え続けることに希望は見いだせるだろうか。
イラストや詩でファシズムに抵抗した画家でエッセイストのヨゼフ・チャペックの作品を収める「独裁者のブーツ イラストは抵抗する」(増田幸弘、増田集編訳)に注目したい。
作家、劇作家として知られる弟のカレルとともに、ヨゼフは1921年から「リドヴェー・ノヴィニ(人民新聞)」という新聞社で働いた。隣国ドイツがナチス政権となり、戦争に突き進む濁流の中、ヨゼフは同紙に描いたカリカチュア(風刺画)のモチーフに黒いブーツを用いた。読者が独裁者のことだと受け取るのは難しくなかっただろう。
はいている人物が描かれていない黒いブーツが群衆の頭や町を踏みつけ、弾薬の上で得意げなポーズを取り、壇上から配下のブーツの隊列を見下ろす。そんな一コマ一コマをめくっていると、暴力、強権、非情、独善といった言葉が次々と頭をよぎる。
大事そうにブーツを磨く人々のイラストもある。キャプションは「もっと光らせろ!」。磨いているのは「学者、広告屋、ジャーナリスト、裁判官」と記されている。独裁者は1人で立っていたわけではない。
ヨゼフは1939年、ナチスによって強制収容所に送られた。日本語版オリジナル編集の「独裁者のブーツ」には、収容所で命がついえたヨゼフが、過酷な環境下で残したイラストや詩もある。表現による抵抗は最期まで続いた。
その前年、「リドヴェー・ノヴィニ」紙に掲載された一コマ漫画が目を引く。描かれたのは地下の空間で暮らしている老人と幼い孫らしい。孫が問う。「人は昔、地上に住んでたって、本当じゃないよね」。老人は「そういうときもあったね」と答え、つぶやく。「人が空を飛ぶことを覚えてしまってからというもの、地下に住まなくてはならなくなったんだよ」。笑えるようで笑えない。それどころか怒りのエネルギーをぶつけられた気がして忘れがたい。
約80年前とは比べものにならないほどの表現手段を手にした私たちは、楽しむため、癒やしや勇気を得るために映画や演劇、音楽、文学、漫画などを味わい、自ら創作することもできる。自由な発言や表現を遮られることのない幸運な時代に生きているとも言える。
それでは風刺の必要もないほどいい時代かといえば、にわかにうなずくわけにはいかないだろう。現実の世界は矛盾やアンフェアな出来事がひきもきらない。その裏であたかも戦時の指導者のように命令したり、人をおとしめたりして得をする誰かがいるのなら、よく目を凝らそう。
エンターテインメントを含めたさまざまな文化的な表現は、普遍的なメッセージとなって遠くにも後世にも届けられる。共感、共鳴を広げる力もある。理屈っぽくなければ、なおいい。混沌としたこれからの時代、現実の裏と闇を見抜いて表現するセンスが一層問われそうだ。
そんなことを思いながら読んでいた「三島由紀夫紀行文集」に、闇を捉える鋭利な視線で書かれたエッセーを見つけた。風刺の範疇ではないだろうが、こんな一節がある。
「見えないほどに緩慢な死が、こうして昼となく夜となく、この町を犯しつづけている」
1961年、三島がベネチアへの旅で残した短いエッセー「冬のヴェニス」。彼の地で建物が潮の影響を受けて少しずつ崩れていくさまを「緩慢な死」と表している。世界中から観光客が集まり明るく過ごす土地だが、人間ではなく建物から崩壊の兆しをつかみ取っている。同じエッセーから引く。
「建物が人間などは尻目にかけて、それ自体の深いデカダンスに沈潜し、正に『滅び』を生きているのである。ここでは建物が精神であり、人間は動物のようだ」
華やかさ、勇ましさの前で沈黙しない。そのための目を求められるのは創作者だけでなく、時代の一員である受け手も同様である。(杉本新・共同通信記者)
【今回の作品リスト】
▽ヨゼフ・チャペック「独裁者のブーツ イラストは抵抗する」(増田幸弘、増田集編訳)
▽三島由紀夫「三島由紀夫紀行文集」