埼玉新聞

 

大宮で「人間失格」執筆、さいたまの太宰治ゆかりの地を巡る 特別公開のテーブルに参加者ら興味津々

  • 太宰治が「人間失格」を執筆したときに使ったというテーブルを見学する参加者ら=さいたま市大宮区

 太宰治(1909~1948)の生誕110周年を記念して、太宰が「人間失格」を執筆したさいたま市大宮区のゆかりの地を巡る探索ツアーが行われた。「太宰が住んだ大宮」というホームページの管理人で、鴻巣市在住の玉手洋一さん(57)が企画した。

 太宰は1948年4月29日~5月12日、愛人の山崎富栄と大宮で暮らし、「人間失格」の「第三の手記」と後書きを書き上げて脱稿した。筑摩書房社長の古田晁が太宰に静かな執筆の場を提供するため、古田の親戚が住む大宮を選び、天ぷら屋店主の自宅2階の部屋を借りた。富栄と入水自殺する前日の6月12日にも、太宰は古田を訪ねるため大宮を訪れていたという。

 主催者の玉手さんは、10年前の生誕百年の時に太宰が大宮で「人間失格」を執筆したことに興味を持ち、独自に調査を開始。今回は太宰が大宮で暮らし始めた日に合わせ、「太宰が見た景色や空気感を感じてほしい」とツアーを企画した。

 この日は太宰の親戚筋で太宰治検定を行っている青森県五所川原市の津島克正さん(54)、太宰と富栄の評伝小説を著した作家の松本侑子さんをはじめ、埼玉や富山、青森、神奈川の各県などから約30人が参加。大宮駅から氷川神社までを歩き、太宰が通院していた病院、住んでいた民家跡、映画館や銭湯の跡地などをたどった。また、太宰が大宮で執筆した「人間失格」の後書きを女優の千葉綾乃さんが朗読した。

 玉手さんによると、太宰は午前中に原稿を書き、午後は富栄らと映画を見たり、銭湯に行ったりするなど、穏やかな日々を送っていたという。近眼だったため、映画館では最前列で映画を鑑賞し、闇市が並んでいた氷川参道ではウナギ肝の串焼きを買ったエピソードなどを紹介した。

 太宰が「人間失格」を執筆するときに使ったというテーブルも特別公開。たばこを吸いながら書いたためか、かすかに焦げた跡もあり、参加者らは興味津々。「(郷里の)青森に行かなくても太宰に触れることができる」と驚いていた。

 玉手さんは「『人間失格』は誰でも知っているが、大宮で書かれたことは地元の人でもよく知らない。太宰と大宮のことを広く知ってもらいたい」と話していた。

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