埼玉新聞

 

許せない…死亡男児の腕時計、警官が紛失 隠蔽し後輩のせいにするも有罪、反省なし 腕時計あげた母悔しく

  • 判決後、取材に応じる孝徳君の母親=7日午後2時半ごろ、さいたま地裁前

 熊谷市で2009年に発生した小学4年の小関孝徳君=当時(10)=が死亡した未解決のひき逃げ事件で、県警が紛失した孝徳君の腕時計に関する捜査書類を破棄したとして、公文書毀棄(きき)罪に問われた県警交通捜査課の元警部補、須郷宗男被告(63)の判決公判が7日、さいたま地裁で開かれ、任介辰哉裁判長は懲役1年6月、執行猶予3年(求刑・懲役1年6月)を言い渡した。任介裁判長は「捜査段階の自白供述には十分な信用性が認められる」と判決理由を述べ、無罪を訴えた弁護側の主張を退けた。

 判決によると、ひき逃げ事件発生当時から県警交通捜査課の警察官として孝徳君の事件を担当していた須郷被告は15年9月、事件の証拠品として熊谷署に保管されていた腕時計の紛失が発覚することを免れるために、腕時計を含む証拠品11点に関する任意提出書と領置調書を同署内でシュレッダーにかけて廃棄した。

 腕時計が記載された公文書を須郷被告が裁断したのかどうか。紙片などの物証がない中、19年2月11日の取り調べの際に作成された自白調書について、任介裁判長は腕時計の紛失発覚を免れるため、10点の書類の手続きを行ったことで保管する証拠品と矛盾がないようにしたと説明。「存在してはならない書類を廃棄するに至ったのは自然かつ合理的で、その内容も具体的」と調書の信用性を強調した。

 公文書を破棄し、事実を隠蔽(いんぺい)する行為をした当時、須郷被告は現役の警察官だった。任介裁判長は、「法令を遵守し、適切な捜査を遂行すべき立場でありながら犯行に及んでいて、一層厳しい非難に値する」と断じた。

 弁護側は、取調官から「公文書偽造も考えたが、毀棄だけでやる」と利益誘導されたり、自白の強要があったなどと主張し、自白した供述調書の任意性を否定していた。

 腕時計は事故当時、孝徳君が身に着けていたとみられ、県警が証拠品として押収。18年10月、捜査過程でなくなっていることが発覚し県警は19年1月に紛失を認めていた。その後、紛失に関して須郷被告が書類を作り替えていた疑いが浮上。同年9月、虚偽有印公文書作成・同行使=不起訴=と公文書毀棄容疑で同被告はさいたま地検に書類送検、同毀棄容疑で在宅起訴されていた。

■母「罪と一生向き合って」

 ひき逃げ事件の証拠品に関する書類を破棄したとして、公文書毀棄罪に問われた元警部補に有罪判決が下された。グレーのスーツ姿で出廷した須郷被告は判決理由を読み上げられると傍聴席に向かって一礼した。2020年12月の初公判からほぼ毎回、熊谷市の自宅から足を運び、裁判を見守ってきた孝徳君の母親は判決後の取材で「罪と一生向き合ってほしい」と語った。

 約1年3カ月にも及んだ裁判。母親は傍聴席で懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を見届けたが、心は晴れない。「重大事件の担当者として全面否認したり、後輩のせいにしていて自分の非を認めないままだった」から。「反省の言葉も一度も述べなかった。許すことはできない。なぜ、(被告が)孝徳の捜査責任者だったのだろうか。無念で、悔しい」と複雑な心境を明かした。

 「私たち親子2人の中では大切なもので思い入れがあった」。紛失した腕時計は、孝徳君が小学4年生になったばかりの4月、10歳の誕生日に母親と一緒に買い物に出掛けて、母親がプレゼントしたもの。孝徳君が悩んで決めた腕時計だった。スイミング教室に通い始めるなど時間の管理ができるように、という思いも込められていた。「だんだん大人になっていくんだな」と成長を感じていたという。

 母親が願うのは、事件の解決とともに、真実が明らかになること。「(ひき逃げの)犯人を捕まえられず、大事な腕時計をなくし、発覚を免れようと事実を隠蔽して最後まで罪を認めなかった。これらのことと一生向き合っていってほしい。元警察官として、人として、いつでも孝徳の仏壇の前に真実を話しに来てください」と訴えた。

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