埼玉新聞

 

サッカー元日本代表DF・中沢が引退を発表 地元に大きく貢献、母校からはねぎらいと引退惜しむ声

  • 浦和戦でシュートをブロックする横浜Mの中沢佑二選手(左)=2017年12月2日、さいたま市緑区の埼玉スタジアム

 現役引退を発表した吉川市出身でJ1横浜Mの元日本代表DF中沢佑二選手(40)は、同市や近隣の三郷市でサッカー教室を主宰するなど、地域に根差した活動もし、地元の市民に大きな影響を与えていた。引退発表を受け、母校県立三郷工業技術高校の当時の顧問やサッカー部員らからはねぎらいの言葉とともに、引退を惜しむ声も聞かれた。

 中沢選手は吉川市総合体育館や三郷市総合体育館を拠点に、サッカースクール「NAKAZAWA SC」を主宰。シーズンの合間を縫って中沢選手自身も参加し、地域の子どもたちにサッカーの楽しさを伝えてきた。

 2009年に同スクール三郷校の発足に携わった三郷市文化振興公社の斉藤光一さん(47)は「子どもたちと触れ合う時間を大切にされていたのがとても印象的」と振り返り、「地元の子どもたちに良い経験をさせてもらえた。現役生活お疲れさまでした」と声を掛ける。

 母校三郷工技高サッカー部員からは引退を惜しむ声も。2年生の伊藤悠希さんは「もう少しプレーを見たかった。やっぱりヘディングがすごい。憧れの選手」。内田和輝さんは小学生の頃、エスコートキッズに参加した際に中沢選手と話したことがあるといい、「頑張ってくださいと声を掛けたら『おまえも頑張れよ』と言ってもらえたのが思い出」と振り返った。

 1年生の倉持永波さんは「力強いディフェンスで日本のゴールを守ってくれた。中沢選手のような強いディフェンスが目標」。佐野太一さんは「引退を聞いてびっくりした。自分も中沢選手のようにパワフルなプレーができるようになりたい」と話していた。

 中沢選手が高校時代に所属していたサッカー部の顧問だった同校の関根利夫教頭は「当時から体のことなど、自己管理をしっかりしていたのが印象に残っている。長く続けてこられたのも本人の強い精神力があったからだと思う。良く頑張ったね、と声を掛けたい」と教え子をねぎらった。

■吉川市の名高めた/中原恵人吉川市長の話

 中沢選手が世界を舞台に活躍する姿は多くの市民に夢と希望を与え、吉川市の名を高めるなど、地元へ大きく貢献していただいた。大変寂しく思いますが、長年にわたり活躍されたことに市民を代表して敬意と感謝を表したい。

■活躍と勇姿に拍手/木津雅晟三郷市長の話

 いつでも全力でプレーする姿勢は多くの三郷市民から愛され、私をはじめ三郷市の多くのファンが引退を惜しむとともに、今までの活躍とその雄姿に大きな拍手を送りたい。

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