埼玉新聞

 

源頼朝に討たれ無念の死…悲劇の少年武将・源義高をしのぶ 埼玉のゆかりの地巡るイベント、開催へ準備

  • 義高終焉(しゅうえん)の地の看板も建ち、義高を供養している清水八幡=狭山市入間川

 鎌倉時代に源頼朝に討たれた源義高をしのぶ催しがゆかりの地の狭山市で行われている。地域では無念の死を遂げた少年武将の悲話が古くから語り継がれていて、ゆかりの地を巡るウオーキングイベントを開催している市民団体「狭山まちづくリストの会」の吉岡勇三さん(74)は「源平の時代にこの地で起きた少年の悲劇を覚えていてほしい」と話している。

■悲劇の少年武将

 源義高は源義仲(木曽義仲)の長男として生まれた。11歳の時に源頼朝の元へ人質として送られ、鎌倉で頼朝と北条政子の娘、大姫の婿として過ごし、夫婦は仲むつまじかったという。しかし父義仲が頼朝に討たれると状況は変わり、命を狙われる立場となった。大姫らの助けもあり、鎌倉から脱出するも頼朝の追っ手に見つかり現在の狭山市の入間川河川敷で討ち取られてしまった。そのとき義高は12歳。大姫は義高が殺されたショックから心を病み、その後の縁談も拒んで独身のまま生涯を閉じたとされている。

 義高の悲話を地域住民は800年近く代々語り継ぎ、北条政子が建てたと伝わる清水八幡(狭山市入間川)や追っ手から身を隠したと言われる影隠地蔵(同市柏原)を祭っている。いずれも創建当時とは場所や建物が異なるが地域住民によって大切に守られている。

■市民の手で供養

 命日のゴールデンウイーク期間中には市民団体が使わなくなったこいのぼりを市民から集め、入間川の河川敷に上げて、義高の霊にささげている。供養とともに子どもたちの健康、成長を願った約300匹のこいのぼりが入間川上空を彩る。

 追っ手から逃れる義高が目指した出生の地・嵐山町の大蔵館跡までを歩くイベント「義高ウォーク」も毎年5月4日に開催されている。朝8時に狭山市駅西口をスタートし、日高市、毛呂山町など鎌倉街道沿いのゆかりの地を巡りながら義高の思いを果たそうと約30キロを歩く。2015年から始まり多くの人が義高をしのびながら歩いてきた。参加者は県内や首都圏から集まり、また義高の悲話に関心を持つ海外出身者も参加しているという。20、21年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となったが、今年は開催に向けて準備が進められている。

 吉岡さんは「争い事の中で犠牲になるのはいつの世も子どもや女性などの弱者。覇権争いの中で悲劇が生まれてしまった。子どもは親の所有物ではない。イベントを通じてこの地に悲劇があったことを覚えていてほしい」と願った。

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