母国へ支援「協力を」 バザーで呼びかけ ウクライナ出身、埼玉・所沢のクリスティーナさん 侵攻からまもなく3年 昨年夏に訪れた故郷には負傷した男性の姿 毎晩爆撃の音を聞き、何度も停電
ロシアがウクライナへの大規模攻撃を開始してから、間もなく3年になる。ウクライナから日本に来た避難者を助けようと、チャリティーバザーが1月、所沢市泉町の市こどもと福祉の未来館で開催された。ウクライナ出身でボランティアリーダーのソムカ・スヴィトラーナ(クリスティーナ)さん(51)=所沢市=は「ウクライナは3年間ずっと大変だし、これからももっと大変。(募金活動などを)見たら、ぜひ協力してほしい」と語る。
ロシアは2022年2月24日、ウクライナに侵攻した。チャリティーバザーは約2年前から、避難者らによって不定期で開催。売上金は避難者の生活資金に充てられる。ぬいぐるみや刺しゅうのバッグ、ビーズのキーホルダーなどの雑貨や洋服、ウクライナ料理やフルーツティーなど、さまざまな品物が手ごろな値段で並ぶ。ウサギの刺しゅうバッグと鶏肉のゼリー寄せを購入した市内の女性(63)は「テレビで悲惨な戦争を見るだけで何もできないけど、少しでも支援につながればうれしい」と思いをはせた。
クリスティーナさんは20年前に来日し、現在は市内で夫と小学生の娘と3人暮らし。新型コロナウイルスの流行以降、首都キーウにある実家には帰れていなかったが、昨年の夏は2カ月ほど滞在することができた。ドイツからバスで2日かけてたどり着いた故郷。街には男性が少なく、女性がバスや電車の運転士として働いていた。戦争から戻ってきたとみられる手や足を負傷した男性に、市民が「ありがとう」と食べ物を渡していたという。父の住むキーウから車で10分ほどの別荘では、毎晩爆撃の音を聞き、一日に何度も停電した。
戦争が始まってからは、遠い故郷を思い、眠れない日が続く。もともと体調が悪かった母は、毎晩の爆撃による不安やストレスが重なり、侵攻が始まった年の7月に亡くなった。夫の反対で帰ることもできず、「どうやって過ごしたかも覚えていない」とその時のショックを振り返る。今回の訪問では母のいた家も訪れた。「ママがいたのに、誰も待っていない。誰もいない。でも行けて本当によかった」
「ヒデキさん、ケイコさん、ヤナセさん、タカハシさん、スギモトさん、コバヤシさん、イレナさん…ずっと、日本でたくさんの人にお世話になった。たくさんの感謝がある」と語るクリスティーナさん。「絶対にウクライナの土地は渡さない」と強調する。いつか国籍や年齢を問わずに人々が集まる場をつくり、ウクライナ料理の魅力を広めたいという夢もできた。戦争が終わり、祖国のおいしい野菜や果物が日本に渡ってくる日を信じている。