埼玉新聞

 

師匠の言葉うれしく 若き時代の感謝忘れず 【浦和実監督・辻川正彦 執念の先に】(上)

  • 就任1年目の辻川正彦監督(左端)(提供)

    就任1年目の辻川正彦監督(左端)(提供)

  • 就任1年目の辻川正彦監督(左端)(提供)

 1975年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場となる選抜高校野球大会への出場を決めた浦和実。88年から指揮を執る辻川正彦監督(59)は「長かった。9割は嫌な思い出かもしれない。でもあと1割が欠かせないんだよね」と醍醐味(だいごみ)を語る。創部から半世紀、チームを初の甲子園に導いた指揮官と37年間の軌跡を振り返る。

■苦い思い出

 教員を志した辻川監督は大学卒業後、桶川東中時代の校長から紹介を受け、保健体育科教師として浦和実業学園高校に就職。同時に硬式野球部の監督に就任した。「3年間で結果を出せなければ公立校の採用試験を受けなさいと言われた」。部員は2、3年生12人ほど。現在のさいたま市西区指扇の何もない河川敷が練習場所のチームだった。

 当時の県高校野球界は大宮東、上尾など公立校に加え、浦和学院、春日部共栄などの私立校が上位争いに絡み始めた激動の時代。「野球で勝ったことがないチーム。誰も知らないし、誰とも話せない。惨めだった。絶対に勝たないといけないと思った」と組み合わせ抽選会での苦い思い出が消えることはない。

■高校野球の師匠

 1年目の春季大会。南部地区1回戦で上尾に延長十一回の末、4―5でサヨナラ負けを喫した。試合を組むような親交のある相手がいない中、大会後に私立越生(現・武蔵越生)の渡辺健部長から「すごい試合でしたね」と電話があった。練習試合の誘いだった。

 指扇の河川敷に迎えた一戦は大敗。「何も知らなくて、審判もお昼も準備していなかった」。相手校の渡辺先生が球審を務め、結局昼食もごちそうになったという。「渡辺先生は師匠。練習試合を通じて高校野球とはどういうものかということを教えてくれた人」と、右も左も分からなかった若き指揮官時代の感謝を忘れない。

■無我夢中の3年間

 3年目の夏、浦和実は4回戦でシード校の私立越生に8―5で勝利し初の16強入り。5回戦で浦和学院に0―4で敗れたが、確かな実績を残した。

 新チームになり、練習試合前の浦和実の選手たちの様子を見た渡辺部長は「辻ちゃん。変わったなあ。一生懸命やるとこういうふうにチームって変わるんだなあ」。

 師匠と仰ぐ先生からの言葉が、心の底からうれしかった。「本当に無我夢中の3年間だった。今の浦実の原点があそこ」。手当たり次第電話をかけ練習試合の相手を探し、必死に駆け抜けて結果を残した。

■つじかわ・まさひこ

 桶川東中―城西大城西高(東京)―国士舘大。大学時代は準硬式野球部に所属しポジションは一塁手。大学卒業後、保健体育科教師として浦和実高に就職。同時に硬式野球部の監督に就任。途中、総監督、部長の期間を経て、2023年8月に現職復帰。桶川市出身。59歳。

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