埼玉新聞

 

意地でつかんだ切符 自分たちの野球貫き甲子園へ 【浦和実監督・辻川正彦 執念の先に】(下)

  • センバツ出場が決定し、選手たちに胴上げされる辻川正彦監督(中央)=1月24日、浦和実業学園高校

    センバツ出場が決定し、選手たちに胴上げされる辻川正彦監督(中央)=1月24日、浦和実業学園高校

  • センバツ出場が決定し、選手たちに胴上げされる辻川正彦監督(中央)=1月24日、浦和実業学園高校

 1975年の創部以来、春夏通じて初の甲子園出場となる選抜高校野球大会への出場を決めた浦和実。88年から指揮を執る辻川正彦監督(59)は「長かった。9割は嫌な思い出かもしれない。でもあと1割が欠かせないんだよね」と醍醐味(だいごみ)を語る。創部から半世紀、チームを初の甲子園に導いた指揮官と37年間の軌跡を振り返る。

■二度とない好機

 2024年7月21日、現チームが発足。昨季の主力が5人残り、8強を目指せる力があると期待していた代だっただけに秋季県大会の南部地区予選代表決定戦で蕨に1―0と辛勝した時には「ああ、やっぱり本番に弱いのかな」と心配になった。

 県1回戦では埼玉平成に延長十一回タイブレークの末、6―5で勝利。3回戦で聖望学園に競り勝ち勢いづくと、準々決勝では左腕石戸の好投で浦和学院を撃破。この瞬間、指揮官は「このチャンスを逃したらもう二度とない、絶対に(甲子園に)行くしかないと思った」。山村学園、西武台を破り初の秋季王者に上り詰めた。

■運に勝るものなし

 関東大会の準々決勝・つくば秀英(茨城)戦を前に指揮官は「きょうの試合に勝てば、おまえらの人生が変わるぞ。楽しめ」。ありったけの思いを言葉に込めた。

 前日に降った豪雨の影響でグラウンド一面に水がたまり、試合開始が予定時刻から3時間も遅れた。手狭な練習場では試合が行えないため、普段から遠征を重ね3~4時間の移動に慣れている選手たちの心は一切動じなかった。

 「岡本ちゃん(聖望学園の元監督)がよく運に勝るものなしと言っていた。とにかく運が良かった」。環境面やプレー展開を味方に付け、いつも通り、堅実な攻守を披露した浦和実は初の4強入りを果たした。選手が指揮官の期待以上に自分たちの野球を貫いた瞬間だった。

■執念の野球

 選考委員会前日の1月23日。「本当に選ばれるかな。何番目に選ばれるかな」。しきりにインターネットニュースを確認し、椅子から立っては座りを繰り返した。

 同24日、運命の日。生中継から「(関東)3番目に浦和実業学園高校」の声が届いた。辻川監督はほっとした様子で教え子の田畑富弘部長(45)と顔を見合わせ喜びをかみしめると、直後の会見では30秒間言葉を詰まらせ人生初のうれし涙を流した。

 「ずっと悔しい思いをしてきた。甲子園に行けたのは、最後は意地なんだと思う」。4月に還暦を迎える指揮官が執念でつかんだ切符。人生を懸けたチームと共に、聖地に初めて足を踏み入れる。

■つじかわ・まさひこ

 桶川東中―城西大城西高(東京)―国士舘大。大学時代は準硬式野球部に所属しポジションは一塁手。大学卒業後、保健体育科教師として浦和実高に就職。同時に硬式野球部の監督に就任。途中、総監督、部長の期間を経て、2023年8月に現職復帰。桶川市出身。59歳。

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