パラシュート部隊・斉藤優ロングインタビュー 「クジャクのダンス―」西陣誠刑事役
九州、福岡を拠点に活動するお笑いコンビ「パラシュート部隊」の斉藤優が、TBS金曜ドラマ「クジャクのダンス、誰が見た?」で刑事・西陣誠を演じている。
ホームの福岡を離れて完全アウェーだった撮影現場でのエピソードや、移住20年目を迎えた福岡への思いなど、たっぷりと話を聞いた。
さいとう・ゆう 1978年生まれ。大阪府出身。99年、矢野ぺぺとコンビ結成。「内村プロデュース」に出演するなど活躍したが長くは続かず。2006年、所属するワタナベエンターテインメントの九州事業部発足に伴い、先輩芸人のゴリけんと一緒に移住した。「何でもやります」と書いた名刺を自ら配ったり、伝説の音楽喫茶「照和」でお笑いライブを開催したり…。草の根の活動が実を結び、「ゴリパラ見聞録」(テレビ西日本)など多数のレギュラー番組を抱える人気者になった。
(1)完全アウェーVS腰巾着
(2)西陣誠、誰が見た?
(3)福岡で20年目
(4)金沢知樹に食らいつく
(5)まだやっぱり売れたい
(1)完全アウェーVS腰巾着
▼記者 すごくシリアスなドラマの中で、お笑い畑は1人だけ。どのように振る舞っているのかを教えてください。居心地の悪さとかはありませんか?
●斉藤 僕はずっと福岡にいて、スタッフさんって全員知り合いなんですよ。街のどこに行っても知られていて、何やっても大丈夫っていうか、ずーっとホーム。福岡には後輩しかいないし、スタッフも年下ばかりということもよくあります。
今回はめったにない完全アウェー。でも東京にいた若手時代の感覚を体が覚えていましたね。中学校の時から腰巾着だし、先輩とか知らないスタッフのところに行く時が、僕は一番戦闘力が高い。一番偉い人を見つけて懐に踏み込む距離感とか、久しく忘れていた感覚ですね。
だから最初はちょっと怖いなと思ったんですけど、ちょっとずつしゃべれる人を一人ずつ増やしていったり、あらゆる福岡の甘味を差し入れしたり。あと、2人ぐらい技術さんでキッズ(ゴリパラ―のファン)がいたんすよ。そこに、役者さんとかプロデューサーさんとかがいる前で「ファンなんですよ」って言ってくれってお願いしました。結局この業界、知られてないっていうのが一番きつい。知らないうちは話を聞いてもらったり、笑ってもらったりもできないですから。
▼記者 NHK連続テレビ小説「おむすび」にも出演しましたね。
●斉藤 俺たちも福岡で長いことやってるから、ヒロインの橋本環奈ちゃんが知っていてくれて、ありがたかった。環奈ちゃんが知ってる人だから、みんなも「こいつはしゃべっていいやつなんだ」ってなるんです。
▼記者 クジャク―の主人公、広瀬すずさんとのエピソードを教えてください。
●斉藤 こう見えて、役者さんとかにはグイッといかないようにしています。最初に会ったのは、出演者にも真犯人を知らせないまま撮影を進めていたので、みんなが探り合っていた時期だったんですよ。
監督が見るモニターみたいなのを見ていた僕の後ろで、すずさんが休憩していたんです。僕はずっと黙ってたんですけど、向こうから「何で見てるんですか?」って話しかけてくれたんです。
何が起きたのか2秒くらい理解できなかったんですよ。「暇なんで」と答えてから「いや、そうじゃなくて…」とか、ちょっとテンパっちゃって。「いや、それは、あの…」とか、緊張してるところが怪しかったみたいで。「一番怪しい。絶対犯人だ」って、広瀬さんの中で西陣誠犯人説が大きくなっちゃって。スターに会った緊張が、より犯人感を高めてしまった。
(2)西陣誠、誰が見た?
▼記者 演技に対するファンの反響は?
●斉藤 最初は知り合いからも「西陣を見て笑っちゃった」みたいな感想が多かったんです。ラジオでも「西陣誠、誰が見た?」とか、そういう見方はやめてほしいと、半分ギャグでしゃべったこともあります。
でも途中からドラマが面白いって話だけで、西陣の話は出てこなくなりましたね。福岡で街ぶらしてたらドラマの感想をめちゃくちゃ言われますもん。
▼記者 共演シーンが多い刑事役の2人(藤本隆宏、絃瀬聡一)が福岡出身だとか?
●斉藤 それもありがたかったですね。赤沢刑事役の藤本さんは、役ではめちゃくちゃ怖いんですけど、俺のことをすごく好きなんですよ。メークさんに「今日は西陣が来るからって、藤本さんが朝からワクワクしてましたよ」って言われたこともあります。
真面目なシーンで俺も真面目に演技してるのに、(藤本さんが)めっちゃ笑うんですよ。「ごめんなさい、もうダメだ!」って。もちろんNG。俺はもう不本意なんです。一回もふざけてないんだから。監督とかメークさんとかもクスクス笑ってる。
▼記者 6話まで見た分には、自然な演技だと思いました。
●斉藤 そうでしょう。でも監督も演出で「こういうのをやっちゃいましょうか」みたいに、西陣で遊ぶんですよ。でも言われて演じてみても、結局ちゃんとした真面目なところが使われてるんですから。
プロデューサーとか制作陣は、俺よりも西陣のことを考えてくれています。「これは西陣はやらない」とか「西陣はこういうことをする」とか、“みんなの西陣”がいるんです。
西陣は、後輩の方を一回一回見るじゃないですか。それも後から足された設定なんです。「毎回捜査一課の顔色をうかがって、自分の意見が無い刑事にしよう」って。でも言われたことを全力でやるだけなんで、我を通そうなんて気持ちは一ミリもありません。
(3)福岡で20年目
▼記者 今年福岡に来て20年目です。
●斉藤 高校卒業までの大阪が19年、東京が9年で、福岡が一番長くなりました。東京に出てきた頃は「売れたい、売れたい」って貪欲でしたけど、福岡に来た時は子供がいたから、まずは生活。そのためには「全国的に売れる」ってことを、いったん考えないようにしないとやっていけませんでしたね。それプラス、最初の1、2年は何かしらのタイミングで東京に戻りたいっていう思いもありました。もともとゆかりもなかったから。
福岡で3年目、30歳ぐらいでレギュラーがちょっとずつ増えていって、福岡の人のおかげで生活ができるようになってきた。ただ、福岡で仕事が増えるほど、東京が離れていく面もあった。情報番組がメインだったので、全国に一発食らわせるみたいな武器があったわけでもなかったし。
そんな時に「ゴリパラ見聞録」って番組ができて、もしかしたら全国に打って出られる可能性があるんじゃないかって、欲も出るじゃないですか。また福岡のレギュラーがどんどん増えていって、40歳ぐらいで福岡にずっと住むと腹をくくった。福岡でコンテンツを作って、東京とか全国の人に見てもらうというギアに変わっていったんですよ。
▼記者 私が斉藤さんを取材したのは、2019年に都内で開かれたゴリパラのDVD第8弾発売イベント以来です。
●斉藤 6年前、そんなになりますか。ゴリパラも15年以上やっているから、分からなくなるんですよね。飛行機は年間で70回ぐらい乗ってるんじゃないですかね。起きてから「あれ、今どこにいるんだっけな?」みたいなことがありますもんね。昨日も姫路に行ってました。
▼記者 福岡で安心して暮らせるなって思えたのはいつごろですか?
●斉藤 福岡に行ってからバイトはしていないんですけど、安心して暮らせるとかじゃないですよ。ただギリギリ暮らしてただけで、ペペに借金を完全に返したのは40歳ですもんね…。
(4)脚本家・金沢知樹に食らいつく
▼記者 斉藤さんが原案・脚本を手がけた舞台「こりゃもてんばい」がNHK総合(九州沖縄地方)でドラマ化されるなど、最近は活動の幅を広げています。
●斉藤 「東京にコンテンツを届けたい」と言いながらも自分では何もしていなかったんです。福岡である程度安定期になっていて、ゴリパラとかで何かしら引っかかりゃいいなぁくらいの考えで、借金もその時なくなったから。そのくらいのタイミングで、東京から脚本家の金沢知樹さんが福岡にきたんですよ。
▼記者 「サンクチュアリ~聖域~」「TBSドラマ半沢直樹」などの脚本で知られる金沢さんとは、どのくらいの付き合いなんですか?
●斉藤 もう25年ですね。事務所で1年先輩の芸人だったんで。ゴリさんと仲良くて、そこで僕らも一緒に遊ぶようになって、相方は金沢さんと一緒に住んでましたし。
東京って何がすごいって、頑張ってる人が多いってだけで刺激を受けるじゃないですか。福岡って、なかなかケツをたたいてくれる先輩もいないし、こいつ頑張ってんなみたいな後輩もあんまりいないんですよ。
その福岡に金沢さんが来た。名もあり、実力もあり、やる気もある。「おまえ何か動いてねえな」とか「しゃべっていても、おまえワード古いぞ」とか言われて、めちゃくちゃ刺激を受けたんですよ。
頑張ろうってなった時に、金沢さんがやっている舞台「ドブ恋」を見に行ったんです。ドブみたいな恋愛を描く話で、女の子が家に来て、男が情けないことをするみたいな。
俺が「女の子が家に来てる時点でモテてますよ。ドブみたいな恋でも何でもない。本当にモテないやつは、女子を家に呼べないっすよ」って言ったら、金沢さんが「それすごい視点だ。おまえそれ書け」って言ってくれて、それで「こりゃもてんばい」って舞台を書くようになったんです。
もともと福岡に来た時の話とか、地方芸人の話を小説で出したいという気持ちはずっとあったんですけど、それも何となくタイミングが来ればいいかって思ってた。そしたら「もてんばい」の舞台が終わったタイミングで、金沢さんから「シナリオ大賞っていうのがあるから、それ出してみろ」って言われて。
書き始めたんですけど、金沢さんが期限を1カ月間違えてて、締め切りが過ぎていたんですよ。だったらこれ舞台にしますわって言って、半年くらいかけて「それでも夢は見ている」っていう舞台の脚本を書きました。
そしたら映画監督の江口カンさんとか「キングダム」の原泰久先生がやけに褒めてくれて。自分が作ったネタやクリエーティブなやつをこんなに褒められたことがなかったんですよ。すっかり調子に乗っちゃって。
▼記者 金沢さんから刺激を受けて、ケツをたたかれて、ライバル心を燃やしている感じですか?
●斉藤 最初はライバル心があったんですけどね。今はなんとか食らいついていきたいと思ってます。
(5)まだやっぱり売れたい
▼記者 2014年に取材した時は「福岡の番組で全国をうかがうのが僕らの使命だった」と話しています。そこからやりたいことが変わってきた感じですか?
●斉藤 今思えば「ゴリパラ」があったから言えただけで、その後、自分で何か動いていたわけではないんですよ。やっぱり自分で何かしないと届かない。自分で作ったものじゃないと人の心は動かせない。金沢さんはもちろん、ゴリさんも「ちくワン」(熊本県八代市の公認キャラクター)を手がけたりとか、お互いに刺激し合っている感じですね。
▼記者 世代的には「ダウンタウン」の影響が強いと思います。デビュー当時のやりたかったこととか、目指していたところは?
●斉藤 そうっすね。余裕でダウンタウンさんでしたね。でもどういう風になりたかったのか、もう思い出せないな。
もともと物欲もあんまりないし、借金がなくなった時に一回やる気なくなったと思ったんですけど、まだやっぱり売れたいんですよね。売れてる人にもイケメンにも、売れなかった自分にもずっと腹が立っている。
▼記者 東京や大阪には山ほど芸人がいるけど、東京、大阪から福岡に来て19年過ごすというオンリーワンの経験をしていると思います。今後、そういった武器をどう生かしていこうと考えていますか?
●斉藤 東京の番組にも出たいんですけど、今のままだと緊張で戦闘力の2割しか出ない。絶対、何かしらの“ベルト”が必要だと思うんですよ。例えば小説が売れるとか、ドラマがはやるとか、ユーチューブがむちゃくちゃ回ってるとか。だから節操が無いと言われそうですけど、どれも全力でやってます。エピソードはいっぱいあるから、ベルトさえあればひょっとしたらひょっとするんじゃないかなと思ってるんですよね。
あんまり言いたくないけど、昔お世話になっていた東京のスタッフさんが今はとても偉くなっているんです。若手時代に有吉さん、内村さんとの共演経験もあるので、あとはベルト一つなんです。以前は売れるために何をしていいか分からなくて苦しかったんですけど、今の悩みは、ものを作る悩みだから種類が全然違います。光が見えていて、そこまで走るだけなので健全ですね。
ドラマの撮影は本当に刺激的でした。とはいえ福岡で19年、子供が成人式を迎えました。食わせてもらえたのは完全に福岡の人のおかげです。いろいろな仕事をすることが恩返しにもなると思うので引き続き頑張る。それしかないですね。
(取材・文・撮影=共同通信 近藤誠)