埼玉新聞

 

変わり果てたまち…「戻る場所もない。戻りたくもない」と語る人も 埼玉・加須で福島の双葉町民ら追悼行事 古里に向けて黙とうささげる

  • 東日本大震災発生時刻に合わせ、被災地に向かって黙とうする参列者ら=11日午後2時46分、加須市騎西の旧県立騎西高校

    東日本大震災発生時刻に合わせ、被災地に向かって黙とうする参列者ら=11日午後2時46分、加須市騎西の旧県立騎西高校

  • 東日本大震災発生時刻に合わせ、被災地に向かって黙とうする参列者ら=11日午後2時46分、加須市騎西の旧県立騎西高校

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から14年を経た11日、加須市騎西の旧県立騎西高校(現・SFAフットボールセンター)では、福島県双葉町民ら約90人が参列して追悼行事が行われた。行事は双葉町埼玉自治会が主催。震災発生時刻の午後2時46分には、古里の双葉町に向かって1分間の黙とうをささげた。

 旧騎西高は、福島第1原発事故で双葉町民が集団避難し、最大で約1400人が身を寄せた。当時の双葉町長、井戸川克隆さん(78)は「当時、加須市の方々は旧騎西高校を短い期間で住めるようにしてくれた。市民の方々にお世話になった」とあいさつした。

 伊沢史朗双葉町長の代理、同町埼玉支所長の鵜沼浩二さん(51)は「加須市の皆さんには多大なるご支援を頂いている。今後も、復興の歩みを続けていく」など、町長のメッセージを紹介した。

 角田守良加須市長は「当時誕生した子どもは、この春に中学3年生に進級する」と14年をなぞらえ、「これからも、市民と同等の支援継続は変わらずに行っていく」と話した。

 大橋良一前市長も「双葉町は復興への道を進んでいるが、まだまだという思いがある。連携と絆がこれからも大事」とあいさつした。

 同町埼玉自治会の初代会長、藤田博司さん(85)は「私は双葉町では農業と牛の繁殖をしていたが、避難を余儀なくされた。今は加須市内に家を買い、夫婦で住んでいる。双葉町埼玉自治会では盆踊りなどを行って、つながりを深めている」と結束の強さを話していた。

 追悼式主催者の同町埼玉自治会の吉田俊秀会長(77)は「亡くなった方をしのび、久しぶりに会って昔のことを振り返る場として、追悼式は開催し続けなければならない」と強調する。

 2月に開かれた「福島復興再生協議会」で双葉町の伊沢町長が、同町内の中間貯蔵施設に保管されている除染土について「町内での再生利用を考えている」と発言したことに対して、吉田会長は「全く同意見。まずは県内からやってもらいたい」と共感した。吉田会長はあいさつで2月下旬に岩手県大船渡市で発生した山林火災に触れ、「14年前に津波の被害で高台へ家を移した人も被害に遭っている。みんなで力を合わせていこう」と思いを寄せた。

 同町で商店を営んでいた山口典子さん(75)は被災後の半年間は福島県いわき市の長男宅へ避難し、その後に旧騎西高校へと避難してきた。テレビで見る双葉町は変わり果て、「戻る場所もない。戻りたくもない」と語る。客の多くは加須市へ避難してきたといい、「仲間がいるので寂しさは感じない」と話していた。

ツイート シェア シェア