「人と人、人と犬をつなぎたい」伍代夏子インタビュー 写真展通じて保護犬支援
演歌歌手の伍代夏子が、自身が撮影した保護犬の写真展「つなぐ」を東京で1月に開催。人と人をつなぎ、人と犬とをつなぎたい―。その思いから始めた活動の一環という。
夫で俳優・歌手杉良太郎の影響で、ベトナムの孤児たちの里親となり、東日本大震災や熊本地震、能登半島地震の被災地支援と、活動範囲は広い。社会福祉にかける思いを聞いた。
【ごだい・なつこ】東京都渋谷区出身。1982年にデビュー。90年発売の「忍ぶ雨」がヒット。紅白歌合戦に22回出演した。
(1)敵意、おびえを撮影
記者 なぜ保護犬に目を向けたのですか?
伍代 私が声の病気にかかった時(2021年)に、カニンヘンダックスフントの「りく」を迎えました。私は小さい頃から犬に育てられてきたところがあります。結婚して20年以上、犬を飼わずに過ごしてきましたが、そばにいてほしくなり、飼い始めました。
その間も被災地支援に足を運んでいました。テレビニュースで(2020年7月の)熊本豪雨災害で水に漬かっている犬を助けている場面が目に留まりました。東日本大震災の被災地を訪れた際には、ドラム缶でたき火に当たっている女の子が、ゴールデンレトリバーを連れていた。「どうして避難所に行かないの?」と尋ねると、「一緒には入れないんです」と答えました。こうした幾つかの経験を、りくを飼い始め、思い出したんです。
それからは避難所に行くたびに、犬との避難が気になりました。私だったら片時も離れられないのに、避難者は犬をどこに置いているのだろうと。
各地に仕事で行き、ペットとの「同室避難」を提案していくうち、やがて保護犬の存在やそのシェルターを知るようになりました。保護犬を家庭犬にするために訓練する施設のお手伝いも始めようと考えるようになりました。
記者 タイトル「つなぐ」に込めた思いは?
伍代 たとえ自分が犬を直接引き取って、面倒を見ることができなくても、スタッフも足りない中、頑張って運営している保護犬のシェルター施設を応援することもできるのではないかと思いました。
一生懸命、保護犬を助けようとしている人を理解するだけでもいい。人と人をつないで、心をつないで、愛をつないで、命をつなぐという意味で、私がすべきことは「つなげる」ことかと思ってのことです。
記者 犬の撮影にあたり心がけたことは?
伍代 長い時間をかけて撮ると、元々家庭犬だった犬は好意的に寄ってきてしまう。私が撮りたいのは、悲しい目とおどおどしている様子だった。敵意、おびえ、寂しさ、愛を欲するような目を撮影できたのは、滞在して30分以内のことが多かったです。
記者 写真展の反響は?
伍代 「訴えかけられるものが強くて、胸に響くものがあった」と聞いています。そういう風に見てくれた方がいて、私としては良かった。犬たちの目から「怖い」「かわいそう」と、いろんな感情を皆さんに持っていただけたのかなと思っています。
記者 最も伝えたかったことは?
伍代 犬は威嚇しているんですけど、完全な拒否ではないっていうことを感じてほしいんです。元々、犬は生まれつき、たとえ野犬として生まれても、人のことは嫌いじゃないはず。例えば、虐待があった、わなにかかってしまった、追い回されたなど、つらい経験があったということで、人間に対して警戒心が生まれる。
犬は人を一度好きになると、ずっと好きになる。そういう動物だと私は思うんです。写真展ではそういう犬たちが「なぜこんなにおびえているのか」「人間が捨てるか飼育放棄をしてしまった」「人がそうさせてしまったのだ」ということに気付いてほしかった。
記者 さらに伝えていきたいこともあるそうですね。
伍代 リアルなネグレクトについても伝えることは考えてはいました。
例えば、奇形がある犬、わなにかかって足を切断された犬が、実際は多いという現実を伝えることも考えました。
殺処分は、撮らせてもらえるかどうかわかりませんし、私もその場で目を背けたくなるような現実ではあるのですが、やがて伝えていかなければいけないと思います。
記者 幼少期を含め、犬との関わりは?
伍代 犬とは、良きパートナーで親友でした。雑種犬を長く飼っていましたね。譲渡犬や野良犬も飼い犬にしたことがあります。両親が魚屋をやっていて店にいて、あまり構ってもらえませんでした。犬と一緒に過ごすことが多くて。「一緒に遊んでなさい」とあてがわれたのかな。(りく、2匹目のカニンヘンダックスフント「そら」を迎える前に)12匹を飼いましたね。
記者 保護犬の活動は今後どんな風にしていきたい?
伍代 とにかく一匹でも多くの犬が、新たな家庭に温かく迎えてもらえるように、お手伝いをしていきたい。私の力添えで、もしスピードアップできるものならばしたいという思いでいます。
(2)知らん顔はできない
記者 伍代さんのこれまでの慈善活動を振り返りますと、中越地震発生後に老人ホームを慰問、東日本大震災後、能登半島地震後には炊き出しをされてきました。
伍代 最初は杉とベトナムに一緒に行ったのがきっかけです。「おまえも行ってみない?」と言われました。それまでの私にとって、慈善活動や社会福祉活動はある意味、ふたをしていた分野でした。
ベトナムで(杉が里親となった)孤児院の子供たちの目を見て、その生活を見て、手を差し伸べたくないという人はいないのではないかと思ったんです。杉がライフワークのようにやってきたことを「お手伝いで」と始めたんです。それが続けるうちに、(私のほうが)先にやるようになってしまった。
「一回行けば、分かります」と皆さんに言います。もしも行ったのならば、その現状を見て「何かしなきゃ」と思わない人はいないと思う。その繰り返しです。
各地にまだまだ仮設住宅があります。歌手は微力で、歌うことしかできないけれど、長く歌ってきた分、日本全国に知り合いが多いんです。支援を長く要するところに、知らん顔は絶対できない。行き届かないですけど、とりあえず、頃合いを見て、できる範囲で、各地でやっています。
記者 自身の闘病経験を踏まえてC型肝炎対策の啓発、警察庁特別防犯支援官の活動もされている。社会問題の解決に向けた活動も多岐にわたります。それぞれはつながっていますか?
伍代 私はいろんなものをひもづけるのが好きなんです。
りくに救われて、癒やされて。昔の自分の犬と暮らしていた頃を思い出して、やっぱり私は「この子たちがいると幸せだし、私といるとこの子たちも絶対幸せなはず」だと。だから世間の犬たちも飼い主と幸せに結びつけたい(と願うようになった)。つなげたい―。それがやっぱりすべての活動の原動力です。
例えば被災地に行って、大事な人を亡くした人たちを勇気づけるのも歌手であればこそなんですよね。やはり、歌をやめない理由も、そこに励まされる人がいるから。まだいるならば続けていく。避難所では、ペットを飼っている人も来るし、被災地での詐欺とかも出てくる。避難している方たちに向けて、訴えかけられることはいっぱいあるんです。歌で勇気づけつつ、注意喚起もできるんですよね。
だからそこで巡り合った人たちと、今回の保護犬の支援にしても認定NPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」とは被災地で知り合った。人と人がつながり、できないことができるようになっていくということは、ものすごく大事なことだと思っています。
記者 直接的な支援を通じて感じたことは?
伍代 東日本大震災の発生後は、テレビニュースで、宮城県石巻市のある地域が窮していると知り、杉と私は「ここに行こう」となったんです。20人ぐらい仲間を集めて。ところが、私たちは、支援を求める人が多くいる中で、ここしか行ってないんですよ。ほんのちょっとなんですよ。だから「よかった。やったね。みんな救われたね」とは一回も思ったことがないです。むしろ「こんな程度しかできないんだったら、やめてしまおうか」と何回も思うんです。でも、行けば、みんな喜んでくれる。
ただ(違う方面から)「来てくれなかった」と言われることもあります。キリがないんです。やりきれない思いばかりです。社会福祉とはそういうものです。
(3)命や人生を歌う
記者 りく、そらを家庭に迎え、保護犬を支援する活動へと広がっていった。自身の歌に気持ちの乗せ方などで変化はありましたか?
伍代 歌そのものが演ずるものではありますが、題材は変わりました。声の病気になったのもあるんですけど、色恋よりも命や人生に変わってきましたね。最近の2曲「時の川」と「いのちの砂時計」は特にそうです。
記者 人生そのものを歌う演歌の説得力につながるのでは?
伍代 感じ方は人それぞれです。ただ、私はとにかくどう歌おうとか、どうこうしようとかを考えなくなっています。とにかく自在にならない声なので、歌い方よりもことばの伝え方を、前より大事にしているかな。
記者 多くの人は日々の生活そのものを成り立たせることに目が向きがち。身近なところで、それでも社会に貢献していくには?
伍代 別に何かをしなければいけないということはない。だとしたら、まず家族を大事に幸せにすることですかね。(新聞やニュースなどで)心を痛め、思うだけでも大丈夫だと思う。ただ、せめてね、誰かのために何かをしたいと言うんだったら、まず家族のためにしましょうか。
記者 今のご自身を一言で表現するなら?
伍代 おせっかい!(笑)
記者 これからは?
伍代 きっとこのままでしょう。元気できちんとお仕事をすることで、初めて皆さんのために何かができるので、これからも変わらぬ自分であり続けると思います。
(取材・文=共同通信 藤原朋子)