日本で「青春」少しでも楽しく ウクライナの19歳、さいたまにホームステイ 日本語学び、進学も視野
ウクライナから避難している19歳の女性が、さいたま市内でホームステイしながら、日本語学校に通っている。避難者とホストファミリーをマッチングする支援サイトを通じ、初めて訪れた国で面識のなかった日本人家族と暮らす。ホームステイ先のリビングで、「支援してもらい、助かっている」と笑顔で話した。
■「不安ない」と感謝
さいたま市桜区の看護師岡部みどりさん(42)は、ロシアによるウクライナ侵攻後、夫と相談して、支援サイト「ウクライナ・テイク・シェルター」に登録。5月3日、アナスタシア・オシペンコさん(19)から「戦争で避難したいと思っています。大学生で日本の大学で学びたいです」と英語のメールが届いた。5月中旬、テレビ電話で初めて面会。5月下旬、ワルシャワ空港から成田空港に到着し、検疫を終えたオシペンコさんを自宅に招き入れた。
みどりさんは「今思うとすごい行動」と振り返りながら、「自身の不安よりも、彼女の期待を裏切ってはいけないと思った。19歳。少しでも楽しい青春を送ってほしい」。オシペンコさんは「メールでやりとりして、ウクライナの人も多く日本に来ていたので、不安はなかった」と話した。
中学2年の長女オーブリー杏さん(13)は、年上の女性がホームステイすると聞いて、うれしかったという。1人で外国に避難して勉強している姿に「同じ10代ですごいと思う」。お互い恥ずかしがり屋だが、ウクライナ料理「ブリンチキ」などを一緒に作った。「丁寧に教えてくれて楽しく作れた」。長男柚月喜ちゃん(3)とも仲良しだ。
■戦争「終わってほしい」
オシペンコさんは、侵攻が始まった2月24日、大学の寮から知人の車で避難した。避難する車が多く、普段の2~3倍の時間がかかったという。母親と8歳の弟と一緒に、隣国ポーランドで約2カ月にわたり避難生活を送った。父親はウクライナに残り、母親と弟はその後、英国に避難。母親からは英国に来るよう促されているが、しばらくは日本で頑張ろうと思っている。
日本文化に関心があり、神社や寺、アニメが好きだという。「うさぎの神社」(調神社)に行ってきたと日本語で説明。支援者の協力を得て、富士山、東京・三鷹の森ジブリ美術館を訪れた。今後はさいたま市が提供する市営住宅に入居し、1人暮らしを始める予定。アルバイトも検討している。キーウ国立建築大学でデザインを専攻、今もオンライン授業を受けている。平日午後は浦和国際教育センターの支援で、日本語を学んでいる。絵を描くことが好きで、日本の大学や専門学校への進学も挑戦する意向を示した。
オシペンコさんは戦争について、「何を言っていいか分からないけれど、とてもひどいもの。終わってほしい。私は何をしていいか分からない。ウクライナにいたら何も手がつかないと思う。こちらにいて、取りあえず良かった」と支援に感謝していた。
みどりさんが身元保証人となり、日本財団の経済的支援を受けることが決まった。みどりさんは「両親が安心しているようだ。1人暮らしを始めても、週末は一緒に食事をしたりして、今後も交流、支援を続けていきたい」と話していた。