路線バス運行100年、飯能を支えた歴史 昔は馬車、現在は最長27キロ1時間のコースも 写真で振り返る
飯能市の市街地と山間部の名栗地域を往復する路線バスが、1922年の運行開始から今年で100年を迎えた。路線沿いは明治や大正の時代に林業で活況を呈したが、近年は少子高齢化などに伴い利用者が減少。市が事業者に補助を出し、維持に当たっている。市は路線バスを「なくてはならない地域の財産」と位置付け、市内で「バス路線展」を開いている。
飯能の西部一帯は江戸時代から「西川材」と呼ばれる木材を産出してきた。名栗や原市場には宿泊施設や商店街が並んだという。
市街地と山あいを結ぶ路線バスは市街地と山間部を結ぶ人員輸送の需要増を見据え、開通した。原市場の本橋藤太郎が1910年から飯能―森河原(上名栗)間で運行してきた馬車を22年、乗り合い自動車に転換。路線バスの歴史を刻み始めた。
59年には国際興業(東京都)が、それまで路線バス事業を行っていた飯能交通を買収し、60年以上にわたって運行している。
現在の路線バスは最も長い飯能駅―湯の沢間の場合、約27キロを1時間余りで走る。
湯の沢より二つ手前に停留所がある飯能駅―名郷間は平日に1日13往復し、市民や登山客らが利用している。
路線バスは西武池袋線の飯能駅北口を出発し市街地を抜けると、ほぼ入間川沿いに山間部を進み、名郷や湯の沢に到着する。
路線沿いは人口減少が進む。名栗地区は2013年に2138人だった人口が、22年には1658人に減り、原市場でも8249人が6632人に減少した。
バスの運営も厳しさを増した。同社広報室は「名郷方面の便数は昭和40年代がピークだった」と説明。輸送人員は1967(昭和42)年が最も多く、「昭和40年代は増減を繰り返していた」という。
同社は2011年度、採算上の理由から飯能営業所の撤退を検討することを市側に伝えた。市は「住民の日常生活を支え、名栗地域の観光地に行楽客を輸送する手段」として12年、同営業所の存続に関する協定を締結。現在は赤字の一部への補助として、名栗方面や中沢、間野黒指の路線を対象に年間約6千万円を出している。
協定は3年ごとに更新され、今回は20年4月~23年3月となっている。
同社は今後の運行について「現状以上の利用や支援の継続が前提になる」と説明した上で「公共交通機関としての使命を果たし続けられるよう安全面や法令面の順守を前提に、増収策や経営合理化策を積み重ねるよう努めている」としている。
■路線図や乗車券、停留所の写真展示
飯能市内で巡回形式で開かれている「名栗バス路線展」では、本橋藤太郎の時代に作成された飯能―名郷間のバス路線図を展示しているほか、乗車券や回数券、停留所を撮影した写真も並べている。
市交通政策課は「地域とともに発展してきた乗り合いバスの歴史を振り返ることで、地域の財産であることを再認識してほしい」としている。
路線展は市民活動センターを皮切りに7月20日~8月15日までの日程で行われ、8月20日~9月9日には市立博物館で開催する。11月まで順次開かれる。
問い合わせは、同課(電話042・978・8162)へ。