埼玉新聞

 

きょう3年ぶり川越まつり…旅立った仲間へ、先祖へ感謝のおはやし 仲町の松本家、3世代で臨む初のまつり

  • 3年ぶりの川越まつりに3世代で参加する(左から)松本公夫さん、孫の一真さんと逢生君、長男の勇一さん=14日、川越市仲町

 新型コロナウイルス感染拡大で、昨年と一昨年は中止となった川越まつりが15、16の両日、3年ぶりに川越市内で開かれる。江戸の天下祭の様式を今に伝える祭礼は、ユネスコ無形文化遺産と国指定重要無形民俗文化財でもある一大行事。川越っ子にとっては、アイデンティティーの源だ。「羅陵王の山車」(県指定有形民俗文化財)を持つ仲町で、祖父と子、孫の3世代が参加する松本家の人々も心待ちにする。

 蔵造りの町並みで名高い川越一番街商店街に並行する路地を進むと、歴史を感じるしょうゆ蔵がたたずむ。江戸時代の1767(明和4)年に創業した「松本醤油(しょうゆ)商店」。豪商の横田家が始めたしょうゆ造りを、1889(明治22)年に松本家が継承した。専務の松本勇一さん(47)は、現在の屋号で5代目だ。

 約400世帯がある仲町は、「陵王会」が町内の祭礼全般を取り仕切ってきた。川越まつりでは、町の祭礼実行委員会となる。実行委員長を兼ねる会長を5年前まで約10年間務めたのが、勇一さんの父で社長の公夫さん(75)。東京都板橋区出身の公夫さんは50年前、松本家の娘鮎子さんと結婚して婿入り。「蔵造りの建物がたくさんあって、すごい町だと思った。これは残さなければ」と、町並み保存活動に取り組んできた。

 まつりの山車行事は、山車を保有する商人らの「町方」、組み立てや巡行を担う鳶(とび)に代表される「職方」、農村から来ておはやしを奏する「はやし方」がそれぞれの立場で関わってきた。だが、役割分担が崩れつつある町も多い。そうした状況で、仲町は伝統を堅持。山車は毎回、一から組み立て直す。

 陵王会と実行委で役員を担う勇一さんは、「面倒くさいことを続けるのは、人手が必要ならば町内から多くの住民が集まり、お互いがつながる切っ掛けになるから。コロナ禍で、まつりの意義を再認識した」と言う。中止された2年間も、市内の山車持ち町内で唯一、会所を設けて町の祭礼を途切らせなかった。

 まつりを待ち焦がれるのは、幼い子どもたちだ。勇一さんの長男で、小学校3年生の一真(いしん)さん(8)は「会所に行ったけれど、ちょっと暇でつまらなかった。山車を引くのが楽しみ」と瞳が輝く。3年前は生後間もなかった次男逢生(あお)君(3)も、まつりの動画を食い入るように見て、「いつやるの?」と尋ねるという。

 仲町では川越まつりの時、その年に世を去った住民の家に山車を向けておはやしを奉納する。昨年は病身を押して会所へ赴き、おはやしを楽しそうに見ていた鮎子さんも、今年8月に75歳で旅立った。公夫さんと勇一さんは「長年まつりを支えてきた人たちが、コロナ下で何人も亡くなった。皆さんに感謝の気持ちを示したい」と意気込む。心躍る祭礼は、川越の町を築き、継承してきた先祖の霊にささげる鎮魂の行事でもある。

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