<私の名著>櫻井印刷所・社長寄稿 人間的な行為としての読書 人生に大きな影響、私のおすすめBEST3
私のおすすめBEST3
1位「サラサーテの盤」内田百閒
2位「きりぎりす」太宰治
3位「魔術師」谷崎潤一郎
私が大正・昭和初期にかけての文学に傾倒し始めたのは、中学生くらいの頃だった。薄暗く狭い畳の自室で夢中になって読み耽った時間は、大人になった今、なんて贅沢な時を過ごしていたのだろうと当時の自分が羨ましいほどだ。谷崎潤一郎は所謂耽美派と言われる作家であるが、「魔術師」はその中でも群を抜いているのではないだろうか。水島爾保布の挿絵と相まって、その摩訶不思議な空間と人間の狂気の果てを見ているようだ。太宰治の「きりぎりす」は女性の独白のような文体だが、その中に垣間見える怠惰で自堕落、人間の負の塊のような存在は、まるで自分の中の見てはいけない部分を覗き見しているような空恐ろしさを感じる内容である。そして、内田百閒の「サラサーテの盤」は、淡々と進行する不可解なストーリーと卓越した「普通の風景」の表現に幾度慄いたかわからない。完全な恐怖小説だ。
多感な中学時代に読み漁ったこれらの本で、その行間に漂うエロスの存在に気づいたのはだいぶ大人になってからであるが、想像力を掻き立てる言葉、美しい日本語の組版や工夫を凝らした装丁に触れることは、私の人生に確実に大きな影響を与えている。また作家の記す文章にはそれぞれ必ず珠玉の一文があり、そこに集約するまでの世界を自分なりに想像し、理解を試みる。これは私にとって、人間的な行為そのものであり、現実世界において自分の存在意義を確認して生きていくための一助になっている。
本を読んだときに頭の中に浮かぶ映像は私だけのものであり、どこまでも自由である。銀座の料亭の薄暗い階段下から、内田百閒がひとり杯を傾けているところを想像しても、退廃的な生活を送って浅草を彷徨っても誰にも叱られない。こんな風に、もうひとつの世界を持ち続けていることで、現世との折り合いをつけて、これからもなんとか生きていこうと思っている。
■櫻井理恵氏プロフィル
【さくらい りえ】 1980年8月18日生。株式会社櫻井印刷所の四代目として2014年取締役社長に就任。2017年に同社代表取締役に就任。印刷業をベースに地域情報を発信する「コエドノコトpaper」発行や、自社ブランド「文星舎」の立ち上げなどを行っている。四児の母。株式会社櫻井印刷所 代表取締役社長。