菓子工場を美術館に…雅邦の創作支えた「4代目」が開館、山崎美術館が40周年 来月26日まで特別展
近代日本画の基礎を築いた橋本雅邦のコレクションで知られる川越市仲町の山崎美術館が、3日で開館40周年を迎える。雅邦は川越藩にゆかりがあり、幕末から明治にかけて活躍した狩野派の絵師。美術館は1982年11月3日、老舗菓子店「亀屋」を営む山崎家が本店敷地内にオープンした。当時は市内初の美術館で、雅邦の作品を中心に所蔵する美術館は例がないという。大家の偉大さを、蔵造りの町並みから伝え続ける。
美術館では12月26日まで、記念の秋季特別展として、雅邦の屏風(びょうぶ)絵など約10点や関連する資料を展示している。開館準備から携わり、6月に美術館を運営する公益財団法人の理事長に就任した前館長の山崎登貴子さんは、「山崎家の雅邦作品が散逸することを防ぐため、美術館で保存することになった」と語る。
コレクションの核となっているのは、亀屋の4代目山崎嘉七が収集したものだ。嘉七は家業を子どもに託した後、豊を名乗り川越の経済界で活躍。その傍ら、1899(明治32)年に有志と「画宝会」を結成して雅邦作品を購入し、創作を支えた。
美術館を開いたのは、登貴子さんの祖父で亀屋の6代目嘉七。本店敷地内にあった菓子の製造工場が1981年、市内の工業団地に移転し、空いたスペースを活用することになった。元工場の鉄骨建築を展示室に衣替え。砂糖蔵だった蔵造りの建物なども、美術館の施設に利用した。
大学で美学と美術史を専攻し、学芸員の資格を持っていた登貴子さんも開設準備に参加した。「幼い頃、祖父が雅邦の絵を床の間に飾ったりしていたのを思い出す。私は資料の作成や財団をつくる手続きなどを担当した」と振り返る。美術館のマークは、登貴子さんがデザインした。
登貴子さんが94年から務めた館長は、おいで9代目に当たる亀屋専務の淳紀さん(36)が引き継いだ。雅邦をテーマに大学の卒業論文を書いた淳紀さんは「狩野芳崖らに比べて地味だが、雅邦は技術が圧倒的に高く、当時の日本画家が目指す頂点だった。雅邦の素晴らしさを再発見していただきたい」と願った。
開館時間は午前9時半~午後5時(入館は同4時半まで)。木曜休(祝祭日は開館)。入館料は一般500円、高大学生350円、小中学生200円。問い合わせは、同美術館(電話049・224・7114)へ。