埼玉新聞

 

78歳「究極の遊び」 あの作家から拝した名とともに 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会代表・寺田図書助勝廣さん

  • 自作したよろいかぶとの前で火縄銃を持つ寺田図書助勝廣さん=川越市内の自宅

    自作したよろいかぶとの前で火縄銃を持つ寺田図書助勝廣さん=川越市内の自宅

  • 自作したよろいかぶとの前で火縄銃を持つ寺田図書助勝廣さん=川越市内の自宅

 多い時は年間二十数回、各地でよろいかぶとをまとった武者行列と火縄銃の演武を行う。「真剣でなければ、本当の遊びではない。自分で考えて作り、使う究極の遊びだから楽しい」。日焼けした面に、白い眉毛と口ひげ、白髪頭。江戸時代の武士を思わせる精悍(せいかん)な顔がほころぶ。

 寺田図書助(ずしょのすけ)勝廣さん(78)は1976年、東京都内でよろい行列を実施したのを機に、「獅子の会」を結成。現在も会長に当たる軍(いくさ)奉行を務める。「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会」は、獅子の会の下部組織として96年に発足。125人ほどの会員がおり、常時約30人が演武に参加する。

 軽い模造よろいを着る団体も少なくないが、保存会が使うのは往時の素材と製法で寺田さんが手作りした再現品。これまでに、100領ぐらい製作した。演武も本格的だ。地元の首長らに領主役を演じてもらい、かつての言葉遣いで許可を得る場面から始める。「隊全体が本物を着て、しきたり通り進めるのは私たちだけ」と誇りがにじむ。

 秋田県横手市出身。幼い頃、墓石に刻まれた家紋に興味を持ち、歴史のとりことなった。59年に集団就職で上京すると、食品サンプル模型の職人として働きながら20歳で火縄銃を習得。よろいは実物を買って研究し、30歳の時に七五三の記念で長男が着られるものを初めて自作した。

 活動では、本名に律令制度で書籍の書写などを担った官職名「図書助」を付ける。20歳の頃、都内の百貨店でよろいの展示を見た時、居合わせたある人物と解釈を巡って口論となり、「今後は『図書助』を名乗れ」と言われたからだという。その人は新聞社を退職し専業となっていた後の大作家、司馬遼太郎だ。

 コロナ下では、演武の機会が2年余りにわたって全くなくなってしまったが、昨年夏から再開。「披露してみたい場所はまだまだある。これからも、たくさんの人に当時の様子をお見せしたい」

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