埼玉新聞

 

大宮と浦和、街並み違う理由 高所から浦和を眺めていた裸の“女神”、「風景乱す」と撤去…今は大宮にいた

  • トークを繰り広げた(左から)山海隆弘さん、島田有美子さん、青山恭之さん=18日、さいたま市浦和区の埼玉会館

    トークを繰り広げた(左から)山海隆弘さん、島田有美子さん、青山恭之さん=18日、さいたま市浦和区の埼玉会館

  • 女神像が設置された旧埼玉会館(画・青山恭之さん)

    女神像が設置された旧埼玉会館(画・青山恭之さん)

  • トークを繰り広げた(左から)山海隆弘さん、島田有美子さん、青山恭之さん=18日、さいたま市浦和区の埼玉会館
  • 女神像が設置された旧埼玉会館(画・青山恭之さん)

 再開発が進む浦和のまちの歴史と文化を見つめ直すフォーラム(県芸術文化振興財団主催)が18日、さいたま市浦和区の埼玉会館で開かれ、元うらわ美術館学芸員の島田有美子さんが文教都市としての成り立ちや、旧埼玉会館の女神像にまつわるエピソードなどについて基調講演した。

 フォーラムは「女神像が見た浦和のまち」のテーマで開催。島田さんは、古地図を示しながら、「県庁が置かれた浦和には師範学校や女子師範など学校が多かった」と語った。一方で、大宮は製糸工場や鉄道の操車場など民間の施設が多く、その影響がそれぞれのまちの成り立ちに影響していると指摘。参加者らは地図を見比べながらうなずいていた。

 女子師範学校の跡地に構想された旧埼玉会館は、1923年の関東大震災と財政難で建設計画が延期。渋沢栄一らの寄付により25年に着工し、翌26年に完成した。会館の時計塔の上には当初、女神像が設置されていたたものの、県議らから「裸婦が風景を乱す」などの意見が出され、わずか4カ月で取り外されたと紹介した。制作者は不明で、現在は大宮区の歴史と民俗の博物館の中庭に置かれている。

 島田さんは女神像の制作者について、浦和に住み埼玉大学で教べんを執りながら数多くの作品を地元に残している彫刻家の中野四郎氏が東京藝大の学生時代に関わったのではないかと仮説を述べた。これに対し、意見を求められた埼玉大学教授で彫刻家の石上城行さんは「複数の人間で創作した形跡がある」と指摘した。

 当日はまた、歌舞伎座(当時)などの設計も手がけた岡田信一郎氏による旧埼玉会館の設計図の青焼きも展示。その後のトークでは、元埼玉会館館長の山海隆弘さんが旧埼玉会館について「客席に傾斜を付け扇形にしたのは、日本で最初だったのではないか。2026年には100周年を迎える。誇りを持ってほしい」と語った。

 フォーラムを企画した建築家の青山恭之さんは「女神像は旧埼玉会館の上から浦和のまちをどう見ていたのだろうか」と投げかけた。さらに、「浦和の良さは道にある。建物は変わっても道は残っている。しかし、駅西口再開発で『あさひ通り』という歴史的に大切な一本の道が消えようとしている」と付け加えた。
 

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