松本暁司氏が死去 埼玉サッカーの黄金期築いた名将の急逝に驚き、関係者から悼む声上がる
2019/09/04/00:00
浦和南高サッカー部初代監督を務め、1969年度には同高を高校サッカー史上初の全国3冠に導いた松本暁司氏が2日、85歳で死去した。勝負にこだわる厳しくも情熱あふれる指導で埼玉サッカーの黄金期を築いた名将の訃報に、関係者から悼む声が上がった。
教え子で浦和南高の野崎正治監督は「突然過ぎて、いろいろなことを思い出してしまう。昨日(2日)は眠れなかった」と、恩師の急逝に驚きを隠せない。同監督は生徒として3年間、教員となってから赴任した浦和南高の7年間を合わせて10年間を松本氏とともに過ごした。「サッカーに関してはとても厳しい人で、『鬼松』と呼ばれていた。褒められたことなんてなかった」と振り返る。
野崎監督は、3日午後に松本氏の遺体と対面。「松本先生は穏やかな表情で、今にも『野崎、何やってんだ!』と言い出しそうだった。いつまでたっても先生と生徒という間柄は変わらない」と別れを惜しんだ。
同じく松本氏の指導の下、選手として75、76年度の全国高校選手権2連覇を経験している森田洋正教諭(いずみ高)は「誰よりも情熱があり、理論も兼ね備えていた。一方で、勝負師のような一面もあり、魅力的な方だった」と懐かしむ。「浦和だけでなく、日本サッカーの発展にご尽力された功績は、どなたにも勝る。今はただただ、ありがとうございました。本当にお疲れさまでしたと伝えたい」と、感謝の思いを口にしていた。
浦和南高出身で、松本氏の指導を受けた日本サッカー協会の田嶋幸三会長は、「先生のサッカーに対する情熱から多くのことを学んだ。感謝の気持ちを言葉で言い尽くすことはできません」とコメントした。