さいたま新都心~与野駅、魅力スポット紹介 洋菓子店パティスリーレタンの人気「かやの木ロール」もいかが
さいたまスーパーアリーナがあり、世界規模のイベントやコンサートなどで国内外から人が集まるさいたま新都心駅。商業施設が立ち並ぶ東口駅前は中山道が走り、自転車の国際レース「さいたまクリテリウム」のコースになる東西大通りが横切る。そんな近代的な街と共存する史跡の数々。歴史に思いをはせながら、いにしえの名残をたどる。
駅前の信号で中山道を渡り駅ホーム方面に顔を向けると、フェンスに囲われた「高台橋の遺構」がある。明治時代に造られたれんがのアーチ橋で「都市部駅前の希少な構造物として大変貴重」と「日本の土木近代遺産」に選定されている(2001年土木学会)。前の歩道には赤い屋根の祠(ほこら)が見える。この場所には「お女郎地蔵」と「火の玉不動」が並ぶ。地蔵はその昔、大宮宿だったこの界隈にいた女郎「千鳥」を祀(まつ)ったものだ。悲恋に身投げした千鳥を哀れみ、近所の人らが建てたという。不動については当時、付近で火の玉が飛んでいたなど諸説あるが、刑場だった場所の無縁仏への供養塔とも伝えられている。
与野駅近くまでケヤキ並木を歩き、途中、遠く左には造幣局も。新都心大橋の出口を過ぎ、左手の小道を住宅街に入ると、ほどなく小さな石段のある「念仏塚」が現れる。飢饉(ききん)や天災に苦しむ地元住民の救済を願って念仏往生した僧侶「比丘(びく)」の塚だ。
中山道に戻り、先に見える交差点には以前、推定樹齢500年以上の「大けやき」があった。駅前のシンボルだったが倒木の恐れで2010年に伐採。そのオブジェが与野駅構内に飾られている。
交差点から北浦和方向に向かい、「赤山通り」と合流する地点はかつて秩父を含め関東の山々を見渡せる「六国見(ろっこくみ)」と呼ばれる名所だった。さらに先の大原陸橋麓の歩道には「一本杉」と刻まれた石碑がある。文久4(1864)年に起きた事件で、幕末最後の仇(あだ)討ちとして世に語り継がれた「針ヶ谷の一本杉」跡を記している。讃岐丸亀藩の浪人に水戸藩士が切られ、「桜田門外の変」で仇(かたき)の所在を知った子息が4年越しにこの地で父の無念を晴らしたという。
110年の歴史を誇る与野駅。東口は開業46年後の1958年にできた。駅前の洋菓子店パティスリーレタンで、人気の「かやの木ロール」はお土産にいい。近くの妙行寺に立つ推定樹齢千年の大カヤがモチーフとなっている。