<成人式>新成人ら川口駅前で聖火台点火式 東北回って勇気与えた聖火台、恩返しに宮城の人々が式サポート
JR川口駅前で13日、新成人らが1964年東京五輪の聖火台に点火するイベントが開かれた。東日本大震災の被災地を勇気づけようと、東北を回ってきた聖火台。鮮やかな炎は「復興の後押し」となった。東北復興の恩返しをしようと、今回の点火には宮城県石巻市から8人が駆け付け裏方を務めた。
聖火台は58年の東京・アジア大会のために川口の鋳物師、鈴木万之助さんと文吾さん父子が制作し、64年東京五輪で活用され、旧国立競技場に設置された。
大震災後、被災地を応援するため、2015年12月から石巻で展示され、岩手県から福島県を回り、19年10月に川口に帰ってきた。今年3月には東京五輪の開会式が行われる新国立競技場へ戻る。
5年前、聖火台を迎えた石巻では聖火台を清掃したり、点火装置を管理しメンテナンスも担う市民団体「石巻まちびとサポーターズクラブ」が発足した。同市スポーツ協会長の伊藤和男さん(72)が会長を務め、今回の点火では伊藤さんらクラブの8人が石巻から訪れ裏方を担った。
伊藤さんは石巻の市街地で老舗の酒店とコンビニを経営。ほかのメンバーは行政書士、解体業、建設や土木、造園業などの人たち。大震災の津波で伊藤さんの酒店は全て流されたが、コンビニはわずかな浸水で、翌日から営業して住民に喜ばれたという。
伊藤さんは東北学院大学陸上部で走り幅跳びの選手だった頃、旧国立競技場を訪れたことがある。
「あの頃、聖火台は高いところにあって、遠い存在だった。あの聖火台が石巻に来てくれるなんて夢のようだった。点火して炎が上がった時、石巻のみんなが感動した。この聖火台は、東北被災地の復興の後押しになってくれた」
昨年10月、61年ぶりに聖火台が川口に里帰りしたとき、文吾さんの弟子たちがごま油と布を用意して待っていた。「長旅でさぞや汚れているだろう」と待っていた弟子たちは、聖火台と再会して驚いた。文吾さんの弟、昭重さんは「ちり一つない。出来たてのようにきれいだった」と振り返る。
理由は石巻のサポーターズクラブが付き添い続けてきたことにある。「石巻が責任を持って返すという約束があった。川口から新国立競技場へ行くときも、私たちが付き添います」と伊藤さんは話した。
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川口市は成人式の開始前、聖火台に点火するイベントを実施した。新成人の代表として点火したJRの保線区で働く芹田智紀さんは「生涯の思い出にしたい」。跡見学園女子大2年の塩谷さや香さんは「歴史の瞬間に立ち会えて感動です」と語った。
奥ノ木市長は「聖火台は川口の鋳物師たちによって、小さな工場から生まれ、世界を励ました。この炎で若者たちを心から応援したい。この川口で、また世界で、それぞれの進んだ場所で輝いてほしい」と話した。