フライパンからビルの免振装置まで…日本の「コーティング加工」を開拓 川越のフロロコート、次世代開発も
物の表面を、くっつきにくくしたり、滑りやすくしたりする樹脂コーティング。日常生活から宇宙開発まで、あらゆる分野に活用されている。開拓者として国内の業界を率いてきたのが、埼玉県川越市に本社を置くフロロコートだ。2代目の諏訪部充弘社長(46)の下、次世代コーティングの研究と開発にも取り組む。
フロロコートは1954年、諏訪部社長の父喜義前社長が創業した。前社長は当初、新素材のフッ素樹脂を販売する仕事に従事。だが、国内に加工業者がなかったため、東京物理学校(現東京理科大学)で化学を学んだ知識を生かし、自身で技術開発に挑んだ。
54年に日本で初めて、シリコーン樹脂コーティングを開始。57年には国内初のフッ素樹脂コーティング加工をスタートし、和光市に前身の東京シリコーンを設立した。80年には、前社長の出身地川越に本社を移転。2005年に現在の会社を立ち上げ、主な事業を引き継いでいる。
国内外から製品を預かり、コーティングを行う。素材はアルミや鉄、チタンなどさまざま。大きさは数ミリから数メートルまで、数は1個から数十万個まである。形状も多彩。そのため、工場では汎用(はんよう)装置を使用する。諏訪部社長は「最適な加工をして、困り事を解決する。私たちはコンサルタント業」と話す。
長男の諏訪部社長は11年、34歳で就任した。東京理科大学では統計学を専攻したため、業務効率化にも注力。設備の故障を予知するシステムを築くなどした。同社長は「1ミクロン単位でコーティングの厚さを調整できる社員もいるし、営業のスペシャリストもいる。力を結集させるのが私の役目」と自覚する。
現在の主力はフッ素樹脂コーティングだが、欧州では1万種類を超える有機フッ素化合物(PFAS)を規制しようとする動きが進む。諏訪部社長は、有害性の有無に関係なく一律に禁じる案を懸念。「正しい理解に基づいた規制を願う」と注視する。
一方で、次の素材も準備。カーボンの「ナノコート」を開発した。昨年、95歳で亡くなった喜義前社長が中心になって研究したものだ。諏訪部社長は「物に表面がある限り、仕事はなくならない。規制をクリアし、表面処理加工で貢献したい」と掲げた。
■フロロコート
川越市芳野台1の103の37(電話049・225・4321)。