大林宣彦監督死去 深谷シネマの名誉館長…大林作品上映のたび訪れ、酒造跡への移転も勧める
「映画愛にあふれた人だった。お世話になりました」。深谷市深谷町の映画館「深谷シネマ」の館長竹石研二さん(72)は11日、大林宣彦監督の訃報に「残念です」と肩を落とした。深谷シネマの名誉館長を務めた恩人に、竹石さんは「街の映画館をこよなく愛した方だった。遺志を受け継ぎたい」と語った。
大林さんとの出会いは2005年。宮部みゆきさん原作の映画「理由」の上映がきっかけだった。「スタッフの中に熱心なファンがいて、手紙を書いたら来てくれた」と竹石さんは振り返る。
深谷シネマは02年に旧銀行を改修して立ち上げた「街の映画館」。10年に現在地の旧七ツ梅酒造跡に移転した。「大林さんは酒蔵の跡を見て、『時間が止まったようで、空気が当時のままだ』と気に入ってくださった。歴史ある古いものを大事にされる方で、移転を勧めたのも大林さん。それを機に名誉館長をお願いした。深谷市の観光大使にもなっていただいた」と竹石さんは話す。
深谷シネマで大林作品が上映されるたびに監督は同館を訪れた。出演した女優の常盤貴子さんらも連れて来て会場を盛り上げたりした。
数年前、大林さんは医師から肺がんを告知された。18年3月、檀一雄さん原作の映画「花筐(はながたみ)」を深谷シネマで上映した際は、つえを突いていた。竹石さんは「花筐は大林さんらしい玉手箱のような映像美で描かれている。映画に懸ける思いは旺盛だった」と印象を語る。
広島県尾道市出身の大林さん。肺がん告知後、古里の尾道をロケ地に「海辺の映画館 キネマの玉手箱」の製作に取り組み、昨年完成した。4月10日に全国ロードショーの予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期に。その10日、大林さんは生涯を閉じた。「海辺の映画館」は遺作になった。
「街の映画館」をこよなく愛した大林さん。竹石さんは「大林さんは常々、街の映画館は穏やかな一日を創る知恵の家。映画を見て、みんなで『家族』になろうと、言っていた。映画作家らしい言葉で、ずっと心に残っている」とも。
新型コロナウイルス感染防止のため、9日から臨時休館を余儀なくされている深谷シネマ。竹石さんは「しばらく休館だが、大林さんの遺志を受け継いでいく。長く街の映画館として頑張りたい」と決意を込めた。