埼玉新聞

 

三つの「あ」貫き五輪へ…MGC優勝の小山選手、ケガや“失敗”越え成長 埼玉・松山高の恩師が語る「強み」

  • 2015年の都道府県対抗駅伝に向け、気合の入った表情で走り込む埼玉男子の中高生

    2015年の都道府県対抗駅伝に向け、気合の入った表情で走り込む埼玉男子の中高生。左から3人目「M」マークのユニフォームが小山選手

  • 2015年の都道府県対抗駅伝に向け、気合の入った表情で走り込む埼玉男子の中高生

 15日のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で、小山直城選手(27)が2時間8分57秒で優勝を飾り、2024年のパリ五輪出場権を獲得した。埼玉県日高市の高麗川中から東松山市の松山高に進学し、東農大を経てホンダに入社。実業団入団5年目にして夢の切符を手にした。高校時代の恩師は、挫折をばねに持ち前の吸収力で成長を続けるニューヒーローをたたえた。

 「実感が湧かない。残りの3キロは胃がつぶれる思いだった」。松山高陸上部の青木美智留長距離監督(46)はこの日、教え子のレースを自宅のテレビで観戦。終盤で先頭を捉え、残り4キロほどでスパートをかけてあっという間に1位に躍り出た小山選手の走りを「すごいな。仕掛けどころの思い切りの良さ、特にロードの感覚に優れている」と評する。

 入学当初は、決して有名な選手ではなかった。普段はおっとりした性格だが、競技に関しては自分で考え、はっきり意見を伝え「とにかく人から好かれるタイプ」。東農大三高、花咲徳栄高など陸上に力を入れる高校と合同練習や合宿を重ねる中で「素直に話を聞くものだから、いろいろアドバイスをもらえてそれを吸収できた」のが小山選手の強みだと青木監督は語る。

 高校2年時には、関東選抜新人選手権の1500メートルで頂点に立ち、県高校駅伝で区間賞を獲得するなど頭角を現した。だが、全国高校総体(インターハイ)出場の有力選手として挑んだ3年時の県総体では、1500メートル決勝で転倒し膝を骨折。インターハイ出場の目標はかなわなかった。それでも「失敗しても腐らない。頑張り続けることができるのが小山」と青木監督。

 けがに阻まれ、高校時代の全国経験は1度だけ。それが小山選手の人生を広げた。15年の都道府県対抗駅伝で4区区間賞の走りを見せ、埼玉の初栄冠に貢献。当時、共にチームを組んだマラソン元日本記録保持者の設楽悠太さん(武蔵越生高出)らの影響を強く受け、「一気に成長したのではなく、段階を踏んで世界が変わっていったんだと思う」と青木監督は振り返る。

 東農大2年時には箱根駅伝に関東学生連合で出場。ホンダ入社後は22年のニューイヤー駅伝で初優勝に貢献すると、今年はエース区間である4区を担い連覇を達成した。

 小山選手は、高校卒業後も毎年欠かさず母校の練習に顔を出している。恩師の口からは「実業団になってもここが原点だからと戻ってきてくれる。頑張ってくれ、自分も頑張るからと後輩を励ましてくれる」と感謝の言葉があふれた。

 3月に母校の松山高で講演会を開いた小山選手は、駅伝や大学入試を支えた三つの「あ」を後輩たちに伝えた。「あせらずに。あきらめずに。あなどらずに」。当時の進路指導の先生が考案した言葉で、今でもレースの前になると、青木監督がエールとともにこの言葉を贈る。簡単にはいかないことを乗り越えるための合言葉になっている。

 高校卒業から9年。世界の大舞台への挑戦権を得た教え子に青木監督は「納得できるレースができればいい。結果よりも過程。頑張ることが彼をさらに成長させてくれる」と期待する。これからどんな成長を見せてくれるのか。初の五輪に向けて、ラストスパートする。

明るいニュース感謝/大野元裕知事の話

 スタートから雨が降りしきる悪天候の中、終始上位集団の中でレースを進め、38キロ過ぎに一気に抜け出し独走状態でゴールテープを切る姿はまさに圧巻でした。

 元日のニューイヤー駅伝の優勝に続き、五輪出場内定という明るいニュースを県民に届けていただき感謝申し上げます。パリでも素晴らしい走りを見せていただくことを大いに期待します。

 また、前半からレースを引っ張り、最後の最後まで五輪出場枠を目指して力走した元埼玉県職員の川内優輝選手の健闘も素晴らしかったです。今後の挑戦も応援します。

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