J2大宮・大山啓輔、チームの中心としての思い チーム引っ張りJ1昇格へ 苦しい戦いで得た自信
ジュニア1期生でユースからトップチームに昇格し、プロ6年目を迎えた大宮アルディージャのMF大山啓輔。2018年のシーズンはJ2リーグ5位に終わり、J1参入プレーオフに出場したものの1回戦で敗退し、J1復帰を果たせなかった一方で、チームの中心としての存在感を示した。これからの大宮を引っ張っていく選手として期待が懸かる23歳の思いを聞いた。
―昨季を振り返って。
「出だしがやっぱりうまくいかなかった。個人的にも試合にスタートから出られなかったし、チームとしてもそこでだいぶ負け数が増えてしまったのはもったいなかった。スタートダッシュが切れなかったのが、最終的に響いてきた」
―その中で得た収穫。
「(シーズン序盤を除けば)個人的には1年を通して試合に出られたのは大きな経験になった。なおかつ、監督に使ってもらえたのは自信にもなった。試合をしないと得られないこともいっぱいあったと思う。そういう意味では、1年を通してチームの戦力としてやれたというのは精神的な自信につながった」
―昨季はちょうど5年目。成長を感じた部分は。
「監督、スタッフ陣も変わって、やりたいサッカーも今までのボールを握ってポゼッションというスタイルから縦に速く推進力を全面に出していくサッカーに変わりつつあった。あまり今までやってきたことのないサッカーだったので最初は戸惑ったけれど、どうにか適応して試合に使ってもらおうという試行錯誤をしていく中で今まで自分に足りなかった強さやタフさに意識して取り組めた」
―立場も変わってきたことへの意識の変化は。
「危機感は今まで以上にあった。4年間やってきてそこまで試合に満足いくほど絡めたシーズンはなかったし、5年目という響きは自分の中では若手ではないからチームに何か残さなきゃいけない、チームの中心になるようなプレーをしなきゃいけないという思いがあって、緊張感と『今年できなかったら厳しいな』というくらいの気持ちでシーズンに入った。だから、開幕から数試合出られない状況が続いた中でも、その気持ちを持ち続けながらやれたことはポジションを与えてもらってプレーし続けられたことにつながった」
―危機感や焦りがあるようには見えなかった。
「元々自分が粗削りで気持ちを全面に出すプレーヤーだと思わないし、がむしゃらに試合に出たいと思っても簡単に気持ちだけでどうにかなるものでもない。どうやったら試合に出られるかを冷静に判断して自分の足りないものをしっかり練習で補って、試合で使えるようにしていくっていう作業をコツコツ繰り返していくだけだと思っていた」
―後輩も増えてきた。
「後輩はだんだん歳が離れていって可愛さを感じるようになった。僕が上に対してあんまり仰々しくするタイプでも、堅苦しいタイプでもないので、あまり先輩扱いされるよりも普通に仲良くしてくれたら良いな。仲良くやれてると思ってます。俺は(笑)」
―特に仲の良い選手は。
「茨田選手。昨年のバラはサイドハーフのことが多かったけれど、ポジションも(本来は同じ)ボランチで昔から知ってた選手だし、憧れのような立ち位置に居た選手。同じチームに来て一緒にサッカーができて、いつの間にか仲良くしてもらった。同じポジションってサッカーやっていく上で争わないといけないのでそこまで仲良くなるのは難しいと思うけれど、自分が出られなくてバラが出てる時は本当にうまくいってほしいと思えるし、良いところを見たい、盗みたい、と思えるので本当に大好きですね。すごく勉強にもなるし、ライバルとしてこの人を越えなきゃとも思う。俺にとっては大事な存在なのかな」
―正月の過ごし方。
「昨年は奥さんと一緒に俺の実家で過ごしたので、今年は逆に嫁の実家に行って一緒にお正月を迎える。基本家に居ます」
―正月の思い出は。
「お年玉が楽しみだった。兄(浦和などでプレーした俊輔さん)、姉がいるけれど、学生だとお年玉がもらえるじゃないですか。姉だけ大学に行っていて大学4年間分お年玉もらってるんですけれど、兄貴も高卒でJリーガーになって、俺も高卒でJリーガーでもらえないっていうのがちょっと寂しかった。お金っていうよりみんなで集まってそわそわする感じが好きだったので、姉ちゃん良いなあって思ってた」
―結婚しても趣味の料理は続いている?
「完全になくなった。一切キッチンに立たなくなった。人から『おー』って言われるやつじゃなきゃ作りたくない。でも嫁が体調悪い時とか作ってあげるのは好き。おかゆでもいろいろ入れてみたりして。体調悪い時だけはめっちゃ優しいです。体調悪くない時は全然何もしないですけれど。洗濯機も回したことない。結構みんなにお前やばいなと言われる。家事はまじで嫌いで、食器洗いとか絶対できない。奥さんには本当に感謝してます」
―子供の頃からサッカー一本?
「兄貴がサッカーをやっていたので、スポーツの選択肢はサッカーしかなかった」
―ずっとサッカー選手が夢だったのか。
「そうですね。小4の時には兄貴がJリーガーだったので、格好いいなあと思って。大学すら考えていなかった。高卒でプロになることしか考えていなかった」
―ユースに入ったのも将来のことを考えて?
「合格したら基本的に行くのが当たり前だと思っていたし、その頃には大宮でプロになりたいと思っていた。大宮に入ったのはジュニアに入るタイミングでたまたまセレクションがあって、小学生だったので何も分からないまま受けに行ったのが切っ掛け。ジュニアユース、ユースの時は合格したからとりあえず上のカテゴリーに上がろう、このまま頑張れば大宮でプロになれるんじゃないかと思っていた。一番の最短コースだと思っていた」
―当時思い描いていた選手像に近付けているか。
「かなり出遅れてるんじゃないですか。1年目から活躍する選手もいっぱいいるし、何年かやって海外に行く選手もいっぱいいる。昨年は大学を卒業してプロになる(同い年の)やつも入ってくる年で、追い越されたくないという思いもあった。結局早くプロになったのは良いけれど、大学で試合経験を積んだ方が良かったんじゃないかってことにもなりかねない。大卒1年目が即戦力と言われるように、(高卒の)5年目が試合に使われなければ意味がないって思っていたので、焦りと危機感はプロに入ってからずっとあった」
―今年の目標を。
「J1に昇格して、居るべきところに戻らないといけない。絶対に目指すべきところだと思うし、引き続き個人的には試合に出続けて、なおかつチームに数字で残るような結果で貢献したい」
―プライベートでの目標や、初詣でお願いすることは。
「サッカー以外ではお願いしないな。親も嫁も含めて、みんな健康で集まれればプライベートは満足。健康で1年を送れれば、これ以上の幸せはない」
―改めて19年のシーズンへの意気込みを。
「昨年はJ2も混戦だったけれど、しっかり力を付けて確実に勝てるチームをつくっていかないといけない。力強さや手堅さを身に付けて、J1に昇格するために頑張りたい」
■大山啓輔(おおやま・けいすけ)
小学生の頃からジュニア1期生として大宮の下部組織で育ち、ジュニアユース、ユースを経て2014年にトップチーム昇格。昨季はボランチとしてリーグ38試合に出場し、1得点を挙げた。さいたま市見沼区出身。市浦和高出。23歳。