新入団員ゼロ…県立浦和高、伝統の応援団に存続の危機 団旗再び翻すため、OBらから復活願うエール
新型コロナウイルスの感染拡大を受け学校行事や部活動の大会が次々と中止になる中、県立浦和高校(水石明彦校長)の伝統ある応援団(1951年創設)が存続の危機に追い込まれている。活動もままならぬまま新入団員はゼロ。応援文化の継承を願い、在校生やOBから激励の"エール"が相次いでいる。
休校措置が明けた6月下旬、同校中庭で新入生勧誘の催しが行われた。感染拡大を防ぐため、間隔を空けて並んだ新入生の前で演舞する応援団の持ち時間は15分。同校3年で応援団第81期団長の横田蛍佑さん(18)、副団長兼総務の井上裕貴さん(17)、リーダー長の小城大和さん(17)の3人は、最初で最後のチャンスに気持ちを込めて、応援歌や校歌など3曲を全身で演技し歌った。
今年はコロナの影響で勧誘時期が休校や分散登校と重なり、「学校の象徴」として活躍する入学式後のオリエンテーションや体育祭も取りやめになった。
入部締め切りの同29日、待ち望んだ新入生は現れなかった。2年生は途中でやめてしまっているため、このまま本年度中に新たな入団者がいなければ同校応援団は正式に休止となる。顧問の塩原壮教諭は「行事が従来通りであれば、応援団の持つ魅力が伝わったはず」と無念さを口にする。
この日は3人の引退日でもあった。例年、夏の野球大会終了時に合わせていたが、今年は中止。代替大会も応援はできない。もし、秋以降に部活動の大会が再開されても、3人は「練習を積めていない自分たちに応援する資格があるのか」と相談し、引退を決めたという。横田団長らは「応援席の盛り上がりや選手たちの『ありがとう』が、最高の喜びで原動力だった。大変なことも多かったが、後悔は全くない。応援団員だったことを誇りに思う」と振り返り、「再び団旗を翻させるために、少しでも興味があればぜひ関わってほしい」と話す。
文武両道を意味する「尚文昌武」が教育理念の同校で、応援団はさまざまな部活にエールを送ってきた。昨冬の全国大会に出場、ベスト16の結果を残した同校ラグビー部の元主将松永拓実さん(18)は「何千人もの観客を束ねた彼らの雄たけびが、前へ進む力をくれた。花園のグラウンドに響いた応援歌は忘れられない。今も自分の支えになっている」と、感謝を伝える。2015年に同校が全国高校クイズ選手権で優勝した時のメンバー、野村侑平さん(23)も「壮行会での真剣なまなざしと迫力に圧倒された。何も持たずに戻れないと気合が入った」と復活を願う。
同校応援団OB会長の篠田雅彦さん(58)は「今までの活動に胸を張ってほしい。ほかの部活の生徒らが1年生の教室を回り勧誘の声掛けをしていると聞いたが、浦高には応援団が必須だという証し。学校と連携しながら支援を考えたい」と語った。
■学生を鼓舞、全体を酔わせる存在
学ラン姿で声を張り上げ、一糸乱れぬ演舞で応援する日本固有のスタイルは、旧制中学・高校が、運動会や対外試合などで自発的に応援していた姿が原型とされ、「無形文化財」とも言われている。
県内には県立高校6校の応援団(部)から成る「県六校応援団連盟」があり、毎年開かれる発表会「日輪の下に」を通し交流を深めている。今年入団(部)した1年生の人数は8月4日現在で、浦和高だけではなく、松山高も0人、不動岡高が1人、熊谷高3人、春日部高5人、川越高7人となっている。
硬派な「バンカラ」文化がインターネット世代の若者に受け入れられにくくなっている中、川越高校の入団数が目を引く。1~3年生で総勢21人。交通安全運動や市民マラソン大会など地域イベントにも参加、活躍している。
同応援団を率いて11年目の顧問、坂東正己教諭(57)は浦高応援団OB。着任時、2年生の部員はおらず、自身の体験も含めて、改革を進めた。
「学校の規則通りに下校は午後7時、練習の厳しさを残しつつ意味のないしごきはなくした。特別なことではない」と柔和な口調で話し、「『理不尽』も少しはあった方がいいですしね」と笑う。ただ「先輩への返事は大声で『押忍(オス)』のみといった部分は見直そうと、部員たちに問い掛けた」とも。
「高校時代は当初、文化部に入り、秋に入団した」という坂東教諭。「その後は、応援と切り離せない人生になっている。学生を鼓舞し、学校全体を酔わせる存在が応援団」と、必要性を説いた。