<埼玉西武だより>チャンスはいつ来るか分からない 小関竜也、若獅子たちに“小関イズム”注入
「あの時、打てていなかったらと思うとゾッとする」と1軍外野守備・走塁コーチの小関竜也が振り返るのは1998年の4月19日。ダイエー相手に1―0とリードで迎えた六回裏の2死二塁の場面だった。開幕スタメンをつかむも、調子が上がらず、控えで迎えた中で、代打で登場した。
「とにかく来た球に飛び付きましたね。アウトコースの高めでした。技術どうこう(のヒット)じゃないですよ」
バットを放り出すように食らい付いた打球は三塁線を破り、プロ入り初打点を記録。その後の鹿児島遠征で初本塁打を放つなど感覚をつかみ、入団4年目にして新人王に輝きV2にも貢献した。
その前年は悔しい一年だった。キャンプは1軍スタートだったものの、「オープン戦まで、体力が持たなかった」。その後、1軍に上がり1試合だけ先発出場したが、その出番はあっけなく終了した。「相手投手がすぐに右から左に変わり、1打席目に代打を出されてしまいました」
「チャンスはいつ来るか分からない。日々の生活、そして練習に真剣に取り組む」と言い聞かせながら、再び98年に1軍の舞台に戻ってきた。
マジック1で迎えた近鉄戦。優勝まであと1アウト。ライトを守る小関は霧雨がカクテル光線に照らされる遠い先に相手打者を見ながら「最後の打球、俺のところに飛んでこないかな」と何となく思った。すると放った打球が視界の中で大きくなり、ミットにV2の白球が収まった。98年シーズン、それは小関の野球人生の中でも大きな転機となるものだった。
「2軍から上がり、最初のヒットを打つまで、それは本当に大きな壁なんです。そこを乗り越えることは本当に難しい」
これはコーチとしての小関の言葉。投手として入団し、今年5年目で開幕1軍と自身の境遇が重なる川越誠司や若手成長株の鈴木将平らに熱い視線を送る。今も外野陣の層は厚いが自身もプロ4年目にして前年優勝メンバーの中に割って入り、のちに外野陣の一角を長年にわたって担った。
今年は、愛する古巣に“復帰”。当時達成できなかったV3や日本一に向けて、未来の主軸を担う若獅子たちに“小関イズム”を注入する。
(埼玉西武ライオンズ広報部・田代裕大)