11年間、ボランティアでごみ拾い 朝焼け見て四季を感じて…上尾・水上公園の名物おじいさんの思いは
上尾市にある「さいたま水上公園」で11年間、ボランティアでごみ拾いをしている男性がいる。五十嵐次男さん、83歳。朝4時半に起床、犬の散歩を終えると公園へ。5時から7時まで途中ラジオ体操をはさんで約2時間、ほぼ毎日ごみを拾い続けている。公園内には「おはよう、いつもありがとう」と声掛けをする人や五十嵐さんからおやつをもらうために待つ、犬の“友だち”がたくさんいる。水上公園の名物おじいさん、五十嵐さんの思いとは…。
■見ていられなかった
「趣味が高じて依存症になっちゃったんだよ」と笑う五十嵐さんがごみ拾いを始めたのは今から11年前の2009年4月のことだ。
72歳の3月31日に長かった会社勤めが終わった。「さて、これからどうしよう」。仕事人間だった五十嵐さんは途方に暮れた。「解放感はあったけど、明日の目的がない不安の方が大きかった」という。
1週間後、とりあえず同じ時間に起きて勤めていた会社がある有楽町の行きつけの喫茶店まで行ってみようと思い立ち、駅まで徒歩で向かった。その途中、水上公園を見つけ「そうだここがあった」。翌日からウオーキングを開始。しかし3日目、五十嵐さんの手には空のレジ袋があった。「きれいな公園なのにごみが多くて多くて見ていられなかった」。それから11年、春夏秋冬、荒天以外は続けてきた。小雨の日はカッパを着てごみを拾った。
自宅のある東町から芝川沿いを歩いて、公園内に入り、くまなく回る。自転車の前かごに空き缶やら紙くずやらを仕分けして持ち帰り市の収集場へ。数年前までは歩いて拾っていた。多いときは大きめのごみ袋が5、6個になってしまい、ラジオ体操の仲間に持って帰ってもらったこともある。「特にたちの悪いのが吸い殻。空き缶やペットボトルの中に詰めて捨ててあったり、車の灰皿の中身をそのまま捨ててあったり。想像を絶するよ」とあきれ果てる五十嵐さん。でも「腹を立てたら負け。ごみに負けたくないからね」。
■自ら嘆きつつも「道楽」
ごみを拾い始めた当初から「笑日記」と題した文章を書いてきた。原稿用紙147枚にもなる。「奇特な人と言われた 危篤にならないよう注意」「『なかなか出来ることじゃありませんよ。心が広くなきゃ』よく会う人の言葉。『一瞬の決心でした』私の言葉」「ごみ拾い、人の為になぞ出来ません。我が為、自分の為にやっている」など、日々の思いが綴られている。時にはブラッシング後の毛をそのままにする愛犬家を揶揄(やゆ)したり、時にはごみ拾いに夢中な自分を嘆いたり、哀愁に満ちたボランティアの現実がそこにはある。
今夏は帯状疱疹(たいじょうほうしん)を患い、入院。先日復帰したばかりだ。妻の久子さん(82)も心配しつつ呆れつつ送り出してくれている。趣味は卓球と俳句。「これでもスポーツマンなんだよ」と週3回通う卓球クラブが楽しみ。子どもや孫と6人でにぎやかに暮らす。「ごみ拾いはやめたくてもやめられない道楽。朝焼けを見て、四季を感じて、毎日忙しく過ごせている」
五十嵐さんは今日もトングを持って朝早く家を出る。