埼玉新聞

 

原因不明の病…小3で下半身が動かなくなった女性、へそから下の感覚失う ひきこもる日々が流れるも…留学を決意、夢だった映画関係の仕事に就く 帰国し日本の「生きづらさ」痛感した女性、夢の仕事なげうって次に転身したのは

  • 生徒たちに講演する中嶋涼子さん=19日、川越市笠幡の県立川越西高校

    生徒たちに講演する中嶋涼子さん=19日、川越市笠幡の県立川越西高校

  • 生徒たちに講演する中嶋涼子さん=19日、川越市笠幡の県立川越西高校

 川越市笠幡の県立川越西高校(金井信也校長)は19日、車椅子インフルエンサーの中嶋涼子さん(37)を講師に招き、人権教育教室を開催した。9歳で突然歩けなくなった中嶋さんは、8年間の米国留学時代など自身の経験を交えながら約千人の全校生徒に講演。多様性が尊重される共生社会は、心のバリアフリーが第一歩になると訴えた。

 中嶋さんは2017年に勤めていた映画会社を辞め、「車椅子インフルエンサー」を名乗って活動を開始。講演のほか動画投稿サイト「ユーチューブ」での発信、映画やドラマ出演などを通じて、障害者も暮らしやすい日本社会の実現を目指している。

 小学校3年生の頃、中嶋さんは原因不明の横断性脊髄炎で下半身が動かなくなり、へそから下の感覚も失った。1年半の入院を経て小学校に復帰したものの、ひきこもりがちな生活を送っていたという。だが、映画「タイタニック」を見て感動し、映画関係の仕事に就きたいと決意。高校を卒業すると、米国ロサンゼルスに留学した。中嶋さんは「大学には車椅子の学生や教授が普通にいて、自分が障害者であることを意識せずに済んだ。これがインクルーシブ(包摂的)な社会なのだと実感した」と振り返る。

 ところが、12年に帰国すると、街で周囲の人が手助けしてくれなかったり、バリアフリー施設を健常者が占拠して利用できなかったりと、生きづらさを痛感。「障害は社会がつくっている。日本に足りないのは心のバリアフリーだ」と気が付いたという。

 中嶋さんは「障壁を壊すバリアブレーカーになりたい」と、夢をかなえた映像編集の仕事をなげうって現在の道に進んだ。「前例をつくって可能性を証明しよう」と、水泳や乗馬など車椅子では無理と思われているものにも挑戦。21年の東京パラリンピックでは、閉会式のパフォーマンスに出演している。中嶋さんは生徒たちに、「できないことを数えるよりも、できることを見つけてください。『今』そして、人との『違い』を楽しんで」と呼びかけた。
 

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