横転しそうな車、左右に揺れ夫婦ら恐怖…襲った能登半島地震 道はコンクリートめくれ、揺れた瞬間に走った亀裂 車で移動無理、歩いて辿り着いた避難所は物資不足…毛布1枚を3人で使い震える「海面が引いているように見えた」
最大震度7を観測した能登半島地震で、石川県輪島市で被災した金沢市の高野智司さん(30)=さいたま市出身=が埼玉新聞の電話取材に応じた。避難所は人であふれ、凍える寒さの中、3人で1枚の毛布を手にした。高野さんは「帰省していた人も多く、想定している避難人口よりも避難者が多かったのだと思う」と語り、被災地の深刻な物資不足を明かした。
高野さんはパートナーの小西共佳さん(33)、小西さんの母を車に乗せて、買い物に寄った輪島市門前町本市の商業施設駐車場で激しい揺れに襲われた。「車ごと体が左右に揺れ、横の振り幅が長かった」と高野さん。小西さんも「車が横転するのではないか」と恐怖を感じた。買い物をしたら輪島市門前町剱地にある小西さんの実家に帰る予定だった。
剱地の実家は海岸から約200メートル。夜は海鳴りが聞こえるほど浜辺に近い。「内陸に避難しなくては」。小西さんの母の案内で1・5キロほど先の避難所へ。避難所に続く道は所々、コンクリートが30センチほどめくれていた。大きな揺れのたびに道路に亀裂が生じた。車での移動は無理と判断し、歩いて避難所に向かった。
ようやく着いた避難所はすでに満員だった。臨時避難所が開設された近くの高校に向かうよう案内されたが、その高校も「少なくとも50人以上の避難者がいて、結構きつきつ」だった。大勢が校舎の廊下で過ごした。
避難所で直面したのは深刻な物資不足だった。水はあったが、食料はない。毛布も足りず、高野さん、小西さん、小西さんの母の3人で1枚を共有した。暖を取るものがほかになく、寒さに身を震わせた。
物資不足はほかの避難所も同じだった。小西さんの友人らの交流サイト(SNS)には「発電機のガソリンが足りない」「水、食料が足りない」といった各地の状況が投稿されていた。
校長室の応接室にも4組の避難者がいた。別の避難者が学校の中で物資を調達してきてくれた。高校で一晩を過ごし、2日に剱地の小西さんの実家に戻った。
実家は幸いにも津波の被害はなかったが、倒れた棚や割れた食器が地震の激しさを物語っていた。庭の灯籠が倒れ、窓ガラスも割れていた。一夜明けた海岸はむしろ潮が引いているように見えた。「地震の影響で地面が持ち上がって、海面が引いているように見えるのではないか」と話す人もいた。
3日には金沢の自宅に戻ったが、剱地では現在も「水と電気が寸断されていて使えない」状況が続く。復旧の見通しも立っていない。携帯電話によっては電波もつながらない。高野さんは「電気が使えないとテレビを見ることもできない」と困惑した様子で語った。