45年会えぬ母の顔「どう思い描けば」 曽我ひとみさん、川口で拉致被害者の救出訴え 家族に残された時間短く
埼玉県川口市は27日、同市のフレンディアで北朝鮮による拉致問題を考える集会を開いた。新潟県で拉致され、2002年に帰国した曽我ひとみさん(64)が講演し、「拉致は(被害者)一人一人の歴史を一瞬で奪い、壊してしまう。日本政府は一日も早く交渉のテーブルを用意してほしい」と話し、母ミヨシさん=失踪当時(46)=ら拉致被害者の救出を訴えた。
ひとみさんとミヨシさんは、1978年8月12日に拉致された。北朝鮮に連れられ工作員とみられる男に「(ミヨシさんは)日本で暮らしている。心配するな」と言われたが、振り返ると「この時からだまされていた」。以来、母と再会できていない。
2002年、北朝鮮で面会した日本の調査団から母も行方不明と聞き「心のよりどころが粉々になった」。女性の写真を見せられ、「誰ですか」と問うと「あなたのお母さんだ」と言われ、「あれほど焦がれた母の顔が分からない。薄情な娘なのだろうか」と悩んだ。当時は拉致から24年の時間がたち「70歳の母を想像できなかった。92歳になる母の顔もどう思い描けばいいのか分からない」という。
北朝鮮での日々は「毎日つらかったわけではない」。行動が制限され両親が運動会の応援に来られない娘を手招きし、裕福ではないのにごちそうを食べさせてくれた家族もいた。「冷血非道な人もいると思うが、北朝鮮で私たちが関わったのはごく普通の人たちだと知ってほしい」と話す。
ただ医療や食事などの生活レベルは低く、苦労を強いられた。「拉致被害者がどれだけ悔し泣きをし、どれだけ我慢をしたか」と訴えた。
再会を待つ家族に残された時間は短い。「日本政府は北朝鮮に振り回されず、一日も早く交渉のテーブルを用意してほしい。拉致被害者の親世代に子どもを会わせ、私を母と会わせてほしい」と力を込めて訴えた。
川口市出身の拉致被害者田口八重子さん=失踪当時(22)=の長男飯塚耕一郎さん(46)も「拉致被害者家族の訴え」と題して講演し、「家族と再会し抱き合うという真の解決に残された時間はない。政府には本気で取り組む姿勢を見せてほしい」と求めた。
集会には約300人が参加した。