出来は神様次第、焦らず追及…ふわふわかき氷支える「遊び心」と自然の中で心砕く数カ月 長瀞の「天然氷」
山紫水明の観光地、長瀞。1890(明治23)年から天然氷を製造する「阿左美(あさみ)冷蔵」が、今年は1月17日に氷の初切り出しを行った。
この日の秩父の最低気温は氷点下5・7度。分厚く凍った製氷池は大人が乗ってもびくともしない。電動カッターで氷を縦70センチ、横50センチに切り、氷ばさみで一枚ずつ引き上げ、トラックで皆野町の本店の氷室まで運んでいく。
天然氷を作るには細心の注意と労力が必要だ。山林で日陰になる場所にある製氷池は2面で約300平方メートル。毎年11月下旬に清流を流し、自然の冷気で厚さ15センチほどの氷を形成させる。
6代目の阿左美幸成(48)は池に毎日通い、水面に浮かんだ落ち葉や小枝などを網ですくう。「不純物が氷に吸収されてしまっては、おしゃか」。気温に合わせた水量調節、氷の表面をクリアに保つための掃き作業、野生動物の侵入防止柵の設置など、全ての作業に心身をすり減らす。
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もともとは製氷業一筋だったが、幸成の父で先代の哲男(73)が生き残り策の一つとして、1990年代に縁側5席、庭2席のかき氷店を始めた。最初は見向きもされなかったが、長瀞の名物としてメディアで取り上げられ、たちまち長蛇の列ができた。「観光資源に恵まれた場所で製氷業を維持してきた先代たちの尽力のたまもの」と幸成は言う。
現在は、金崎本店(皆野町)と宝登山道店(長瀞町)の2店舗でかき氷を提供。地元飲食店などにも氷を卸し、夏場には一気に需要が高まる。
機械製氷の氷に比べ、結晶の粒が大きい天然氷は、削るとペラペラと滑らかな氷皮が連なり、かつお節のようにふわっとした食感が生まれる。シンプルな和三盆(砂糖)の蜜のほか、流行を追った塩キャラメル、地元のみそ蔵とコラボした限定蜜など、新しい取り組みも積極的に進める。「商売をするのではなく、遊び心のある店をつくれ」。幸成は哲男からそう教わった。
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温暖化の影響か、近年は氷作りが昔ほどうまくいかない。今年1月の秩父の平均気温は3・4度で、平年値より1・6度高かった。初切り出しが前年より12日遅れ、目標の厚さ15センチに3センチ届かなかった。1月31日にもう1回切り出しを行えたが、過去には9センチほどの厚さの氷しか取れなかったり、年1回しか切り出しができない年もあった。
「氷の出来は神様次第。立派な氷が取れたら感謝し、取れなくても次の策を考える。焦らずプレミア感ある商品を追求していく」と幸成は語る。(敬称略)
■古くは県内32カ所で
県立川の博物館の紀要(2022、23年)では、県内の天然氷作りの歴史について報告している。紀要によると、現在県内で天然氷を作っているのは阿左美冷蔵のみ(21年現在で全国では7カ所)だが、古くは32カ所もあった。
内訳は秩父郡市が16カ所(横瀬町5、皆野町4、秩父市3、長瀞町3など)。寄居町や小川町、飯能市などのほか、川越市、伊奈町など現在は市街地となった平野部にも分布。製氷池を整備し、川の水や湧水を凍らせていた。
時期は明治時代ごろから戦前ぐらいまで。冬場だけの仕事ということもあり、業者の多くは、製材業や牛乳店など本業が別にあった。小川町の円光寺の池の製氷業者の本業は八百屋で、スーパーマーケットのヤオコーの前身に当たるという。
紀要の執筆者で、元川の博物館学芸員の大久根茂さん(71)によると、昔は天然氷を使って肉や魚を冷蔵したり、蚕の卵を冷やしてふ化の時期を調節したりしていたという。戦後、天然氷の業者は激減してしまうが、大久根さんは「この時期は温暖化の影響はないだろう。それよりも機械製氷の業者が増えたことや、電気冷蔵庫が普及して各家庭で氷が作れるようになったことが大きいのではないか」と話す。