鬼より強い!鍾馗様、川越や上尾などで古い建物の屋根に 初詣の代わり、疫病退散の神様探しいかが
新型コロナウイルスの感染が拡大する中で新年を迎えた。ワクチンの開発や普及が進むものの、感染防止に注意する日々が続く。世間では妖怪「アマビエ」に厄よけを願うが、疫病退散の神様「鍾馗(しょうき)」もいる。埼玉県の上尾市や川越市、さいたま市岩槻区などでは、歴史的建物の屋根などに鍾馗像が災いを寄せ付けないためににらみを利かせている。初詣などで「3密」を避けなくてはならない新年。代わりに鍾馗を探してみてはいかがだろうか。
上尾市の中山道5番目の宿場町「上尾宿」は1860(万延元)年、68(慶応4)年、69(明治2)年と幕末から明治初期にかけて3回の大火があり、町のほとんどを焼失したとされる。そこで登場したのが鍾馗様だ。
大火に悩まされた上尾宿の人たちは災いをよけるために「鬼瓦の鬼より強い鍾馗様」を屋根に上げるようになった。現在残っているのはわずか3軒で、市の観光にひと役買っている。
「コロナより鍾馗様の方が強いって宣伝したい」と話すのは同市仲町の新井呉服店4代目社長の大木保司さん(67)。店の屋根正面に堂々と構えているのは瓦製の鍾馗様。初代が上尾宿脇本陣の細井家から屋敷を買い取った時に鍾馗様も引き継いだ。
屋敷の建て替え後は保管してあったが、22年前の中山道拡張工事に伴う店舗改装を機に修繕して屋根の上に復活。今では店の鍾馗様をプリントしたTシャツは外国人など観光客に人気だ。「鍾馗様を飾ったおかげで、敷居が低くなってくれたのかも」と大木さんは話す。
創業180年の和菓子店伊勢屋では鍾馗様の絵が箱に描かれた「鍾馗羊羹(ようかん)」を販売。1958年の上尾市の誕生とともに作られ、観光協会の推奨品となっている。
■見つけて喜ぶ声
川越まつりで繰り出す絢爛(けんらん)豪華な山車には「鍾馗の山車」がある。都内で制作され、71年に通町と川島町角泉囃子(はやし)連が共有することで譲り受けた山車とされ、最上部に飾られている人形が鍾馗だ。人形の制作年や制作者は不明だが、町内の子どもたちを疫病から守ろうという願いが込められているという。
ほかにも蔵造りの町並みで知られる一番街にある「陶舗やまわ」の店蔵にも鍾馗が見られる。川越大火後の1893(明治26)年に建てられた店蔵で、屋根に目を向けると剣を右手に豊かなひげを逆立てた6寸ばかりの瓦製の鍾馗が見られる。
同店は「小さいので、なかなか見つけにくいが、校外学習で訪れた子どもたちが、見つけては喜んでいる声が時々、店内に聞こえてくる」と話している。
■以前は40、50軒の家に
人形のまちとして知られるさいたま市岩槻区では、江戸時代から屋根に「瓦鍾馗人形」が祭られ、疫病や災害に遭わないようにという願いが込められている。以前は40~50軒の家にあったとされ、建て替えなどで減っている。
岩槻区役所は約10年前、市宿通りを中心に、「瓦鍾馗」の観光マップを作成した。マップに掲載されている埼玉縣信用金庫岩槻支店(本町2丁目)の建物は、地元の景観に合わせた瓦ぶき。1998年に新築した際、地元の顧客から瓦鍾馗を贈られ、屋根でにらみを利かせている。
昨年4月にオープンしたばかりの飲食店「くりや 朔日(ついたち)」(本町1丁目)にも瓦鍾馗を見ることができる。高さ約33センチの特注品。店の女性は「岩槻になじみたいと思って設置した。飲食店なので手に持っているのは刀ではなく、しゃもじとお茶わんにした」と話す。
観光マップの作成に携わった元市職員で岩槻地方史研究会会長の飯山実さん(67)は「疫病を家に入れないように、瓦鍾馗は魔よけの信仰として広がった。江戸時代は薬がなく耐性もない。新型コロナも疫病で今の状況とよく似ている。アマビエと同じように、省みられなかったものを学ぶきっかけになるのではないか」と話している。
【鍾馗】日本民俗大辞典(吉川弘文館)によると中国で疫病をはらう神として信仰されていたものが、室町時代以降に日本でも信仰されるようになった。端午の節句に飾るのぼりに描かれたり、武者人形に造形化されたほか、天然痘よけとして用いる疱瘡(ほうそう)絵にも描かれた。京都の町家では、真向かいの家の鬼瓦からにらまれることを忌み嫌い、防御策として通りに面した1階の小屋根の上に瓦製の鍾馗像を飾る。