津波と火災で…人のいない学校を撮影、失われた生活を記憶に あの日をつなぐ写真展、さいたまで23日から
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年を前に、檜佐文野(ひさあやの)写真展「東北の学校~あの日をつなぐ~」が23~28日まで、埼玉県さいたま市浦和区で開催される。川口市出身で米国在住の写真家檜佐文野さん(39)が震災後、2年以上にわたり撮影した岩手、宮城、福島県の被災した学校の写真約25点を展示する。
檜佐さんは卒業が決まっていた獨協大4年時に渡米し、大学の写真学科に通算4年間通って学士と修士を取得。米ニューヨークを中心に音楽関連や企業、国連のイベントなどで撮影の仕事をしている。
2011年3月初旬に帰省していた檜佐さんは震災当日の11日、犬の散歩をしていた。揺れに驚いて実家に戻り、家族と一緒にテレビ中継を見入った。母親の故郷は宮城県石巻市。多くの親戚が同県内に住んでいたため、震災から10日後、食料品を買い込んでカメラを持ってレンタカーで1人、石巻に向かった。
津波が家の近くまで迫ったものの、伯父家族ら親戚はみな無事だった。しかし、檜佐さんが子どもの頃、毎年のように訪れていた海辺の風景は一変していた。「どこを見ても壊滅的で悲惨な状況。当時は現実味がなく、何も感じなかった。自分は冷酷な人間なのかと思った」と振り返る。
最初に撮影した学校は、石巻市立門脇(かどのわき)小学校。津波と火災で激しく被災していた。震災前に亡くなった祖母の記憶と重なる学校で、撮影した教室の窓の向こうには、祖母が入院していた病院が写っているという。
被災地で何を撮影していいのか分からない中で、同じような造りの学校、机、椅子を見たら、日本人は懐かしく思うのではないかと考えた。「学校に人はいないけれど、人の存在を感じた。子どもたちの生活は存在していなかったけれど、存在しないものを写真に収めたかった」。宮城を中心に被災3県を7~8回訪れてそれぞれ1週間ほど滞在し、学校の撮影を続けた。
檜佐さんはオンライン取材で「新型コロナウイルスが感染拡大する中、震災から10年が経過し、風化が始まっている。被災していない人は昔のことになっているかもしれないけれど、被災地では昔のことになっていない。子どもたちの失われた生活を記録して記憶に残し、写真を見ることで心にとどめ、震災を思い返してほしい」と話していた。
会場は檜佐さんの姉夫妻の経営するジュエリー専門店「シプレ ド・オール」(浦和区高砂2の6の16)店舗内。入場無料。午前11時~午後6時。
問い合わせは、同店(電話048・829・9204)へ。