<埼玉西武だより>変わりゆくスタジアム(2)半ドームがV後押し? もう見られない演出、歓喜の瞬間
1998年。それは、スタジアムに大きな“変化”が生まれたシーズンだったと言えよう。
同年3月、観客席に沿うようにステンレスの屋根が設置された西武ドーム(当時呼称)。ただ、覆われたのは客席のみでグラウンドから上を見上げてみれば、ぽっかりと空いた空洞の先に、丸い空が広がっていた。
「この年から球場の名称は西武ライオンズ球場から西武ドームに変わりましたが、もちろん強い雨が降れば中止になりました」と語るのは当時3番を打っていた高木大成(現球団事業部部長)。1996年の10月1日にドーム化計画が発表され、97年オフの第1期、98年オフの第2期にわたって大きな屋根が設置されたが、その最中であった。
この年、雰囲気が変わったスタジアムで優勝に向かって初陣を切ったライオンズだが開幕10試合を終え2勝8敗とスタートダッシュに失敗。早くも暗雲が立ち込めていた。
一方でチームの歯車がかみ合わなかった前半戦は雨天中止が多かった。後半戦に差し掛かり、首位を走っていた日本ハムが失速した頃に若獅子たちは力を発揮し、最大10あったゲーム差は急激に縮まっていった。
高木は当時をこう回想する。「後半戦、チームの調子が上がってきた時に(前半戦に中止となった分の)ゲームがたくさん残っていたのです。当時は“まさに優勝に導かれている”と感じてしまうような日程でした」
迎えた10月7日、近鉄とのダブルヘッダー2試合目。高木もこの試合でダメ押しの適時二塁打を放ち、チームは東尾政権V2を決める。
そして“屋外ラストイヤー”の優勝の瞬間は、自然の力も手伝って、その先もう見ることのできない“演出”が。やや大粒の雨が降り注ぐ中、最後の打者がライトに飛球を打ち上げると、右翼手の小関竜也(現1軍外野守備走塁コーチ)が捕球し、その1粒1粒は歓喜のシャワーと化した。
もし、98年の最初から屋根がついていたら…。その結末は誰も知るよしもない。ただ、このスタジアムが進化を遂げていく中で、少なからず若獅子たちの戦いに影響を及ぼし、それがチームの運命を左右することがあるとすれば、面白い。(埼玉西武ライオンズ広報部)