<熊谷小4ひき逃げ>ずさん…捜査書類破棄について警官「責任押し付けられるかと。関わりたくなかった」
2009年に埼玉県熊谷市で発生した、小学4年の男児=当時(10)=が死亡した未解決のひき逃げ事件で、県警が紛失した男児の腕時計に関する捜査書類を破棄したとして、公文書毀棄(きき)の罪に問われた、県警交通捜査課の元警部補(63)の第2回公判が25日、さいたま地裁(任介辰哉裁判官)で開かれた。
初公判で「公文書という認識がなかった」としていた弁護側は主張を変更、認識について「争わない」と、公文書の認識があったことを認めた。一方で、元警部補は「誤った書類という認識しかなかった」と、改めて公文書の認識はなかったことを述べた。
弁護側の冒頭陳述によると、元警部補は15年、着衣などの鑑定のために必要な証拠品の再登録を、当時の熊谷署員に依頼。登録手続きの中で、腕時計がないことが判明したたため、遺族から腕時計を除く証拠品10点が記された任意提出書を改めてもらった。腕時計を含む11点が記載された書類については、署員の誰かが故意か過失で破棄した可能性を指摘。「被告は裁断や破棄をしておらず、動機もない」と無罪を主張した。
証人尋問では、証拠品の登録手続きを行った当時の同署交通課ひき逃げ捜査係長だった男性警察官が出廷した。男性は証拠品の登録の際に腕時計がないことに気付き、元警部補と遺族の自宅を訪問。「腕時計を除いた任意提出書に遺族から署名をもらい、腕時計の記載がある方は処分するのだと思った」と述べた。一方で「腕時計がなくなったことに関する責任を押し付けられると思った。関わりたくなかったので書類を差し替えようとしていると思っても止めなかった」とした。
裁判を傍聴した男児の母親は「責任のなすり付け合いだった。重大事件という認識とは懸け離れたずさんな管理で、当初から『犯人を捕まえる気はなかったんだ』と感じた」と話した。