「T―1グランプリ」に「大好き条例」 狭山茶の最大産地・入間、官民で“とどめ” 濃厚なうまみや甘み特徴
防霜ファンの羽根が、薫風に緩く回る。埼玉県入間市の南西部、金子台に広がる狭山茶の茶畑。大型連休は新茶のシーズンと重なる。茶園「ヤマキュウ中島園」の中島克典(47)には、緊張がみなぎる季節でもある。「例年と変わらない味のお茶を消費者に提供できるのか。期待と不安が入り混じる」と心境を明かす。
狭山、加治の両丘陵の間に形成された金子台。細長い茶の木の畝が、なだらかな起伏に従うように連なる。その一画に広がる約2ヘクタールの茶畑で、手塩にかけて狭山茶を育てている。3月に肥料をまき、茶葉の表面を刈り込む「春整枝」に当たる。そして4月。茶の木はみずみずしい黄緑色の葉を蓄えることで、作り手の情熱に応える。「今年は遅霜もなく、すくすく伸びている」。中島は目を細める。
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色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす―。人口に膾炙(かいしゃ)した歌が伝えるように、狭山茶は濃厚なうまみや甘みが特徴といわれる。
その個性は産業としての形態にも表れる。市内の多くの茶業農家が取り組む「自園・自製・自販」の方式だ。
祖父が専業として始めた中島の茶園も、このスタイルを続けてきた。茶畑では「やぶきた」や「さやまかおり」などの品種を栽培。収穫した茶葉は工場に搬入して機械で蒸し、もんだり乾燥させたりする工程を繰り返す。これで荒茶が完成する。一番茶に続き6~7月には二番茶を作る。 店頭販売も茶園が手がける。「利益率が高いということもあるが、消費者からダイレクトに感想を聞くことができる」。こう利点を説く。
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熱い湯で狭山茶を入れる。茶わんを囲み、だんらんの時が生まれる。「ぜひ急須で入れて飲んでもらいたい」と中島は薦める。ただ近年は急須を知らない子どもも少なくないという。
そんな未来の世代に向けて開く催しが「T-1グランプリ」。3月には小学3~6年生60人が参加し、茶種当てやクイズに挑戦した。参加者には急須をプレゼント。「ゆったりする時間を取ることは、生活の中で大切なのではないか」と語る。
5月2日。中島の姿は市の農業研修施設にあった。品評会に出品する狭山茶の製造のためだ。全国の品評会で最優秀賞を受賞した経験もある中島は、生産技術の追究に余念がない。
入間市は2022年10月に「おいしい狭山茶大好き条例」を制定し、狭山茶の振興に力を入れる。「まちも応援してくれている。良いものを作っていきたい」。金子台の茶畑はまばゆいほどの緑を放っていた。(敬称略)
■中世には「河越」産も
狭山茶は埼玉や東京の一部で生産される。県内では最大の産地・入間市をはじめ所沢市、狭山市などの県西部を主な産地とする。農水省の統計によると、埼玉の2023年度のお茶の栽培面積は726ヘクタール、荒茶生産量は793トン。生産の主体は煎茶だ。
入間市博物館などによると、狭山地域のお茶の歴史は中世にさかのぼる。14世紀ごろの文献には「武蔵河越」(現・川越市)が産地として登場。室町時代の文献には、現在のときがわ町で製造された「慈光茶」が出てくるが、この二つのお茶は後に衰退していく。
狭山地域のお茶が再び名をはせるのは、江戸時代のことだ。剣士で俳人の村野盛政と宮大工の吉川温恭が「蒸し製煎茶」の製造を開始。1819(文政2)年に初めて取引が行われた。1875(明治8)年には黒須村(現・入間市)に「狭山製茶会社」が設立。「狭山茶」のブランドで米国などに輸出を行った。
現代の狭山茶はさまざまな製品に姿を変える。アイスクリームやチョコレートなどに取り入れられ、「和」の味覚として定着。入浴剤や消臭剤への活用もみられる。また、入間市は窓口で婚姻届を出した人に、急須と狭山茶をプレゼント。県茶業研究所も入間市に所在している。