埼玉新聞

 

鎌倉殿の13人!比企氏の歴史に新見解、本拠地に疑問 川の恵み、水田と砂鉄が一族支える

  • 歴史パンフレット「源頼朝を支えた比企の尼と のもと大谷」を手にする須加一昭会長(右)と大内一郎さん=東松山市松葉町

    歴史パンフレット「源頼朝を支えた比企の尼と のもと大谷」を手にする須加一昭会長(右)と大内一郎さん=東松山市松葉町

  • 歴史パンフレット「源頼朝を支えた比企の尼と のもと大谷」を手にする須加一昭会長(右)と大内一郎さん=東松山市松葉町

 東松山市の市民団体「慈悲の母・比企の尼伝承会」(須加一昭会長)は、歴史パンフレット「源頼朝を支えた比企の尼と のもと大谷」(4ページ、A4判)を発行した。その中で比企一族の本拠地は「大谷ではなく野本地区の古凍(ふるごおり)ではないか」との見解を新たに打ち出した。
 
 同会は、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放映を切っかけに発足した。その一人として比企能員が登場、比企一族が注目された。それまでは比企一族の本拠地(館跡)は同市大岡地区大谷とされてきたが「どうして大谷と関係があるの」との疑問が湧き調査してきた。

 パンフレットは写真やイラストを織り交ぜ鎌倉と江戸時代の“相関図”と、ゆかりの人物を紹介。「比企一族の館は野本地区の古凍であろう、と結論づけた」(同会の大内一郎さん)という。

 比企地域は比企一族や源氏に縁が深く、数多くの史跡や伝説が残っている。大岡地区には鎌倉の地名を模した地名が多く、宗悟寺には鎌倉幕府2代将軍・源頼家の位牌(いはい)が祭られ比企尼(初代将軍・源頼朝の乳母)が草庵を営んだと伝わる比丘尼山(びくにやま)などがある。

 大内さんによると、決め手は人間の生活に欠かせない「川(水)」。野本には都幾川が流れ、大岡には川がない。昔「古凍」は「古郡」と書き、比企郡の郡家(役所)が、さらに時代をさかのぼれば「将軍塚古墳」があった。

 比企一族の経済を支えたのは「水田と都幾川から採取できる砂鉄ではなかったか」と推測。また、宗悟寺は徳川家康の三河出身の家臣・森川金右衛門が、若狭局(頼家の妻)建立と伝わる寿昌寺を再興したもの。森川氏の祖先は初代将軍・源頼朝の家臣・佐々木秀義だった。さらに野本は同じ家康の家来で三河の渡辺守綱の領地で、孫の吉綱が「野本藩」を立てている、ことなどを根拠にしている。

 パンフレットの問い合わせは、「慈悲の母・比企の尼伝承会」(電話080・6727・1651)へ。
 

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