<熊谷小4ひき逃げ>遺品紛失、捜査書類を破棄…自供した元警部補「後輩守るため」 母「真実いつ話す」
2021/06/04/00:00
2009年に熊谷市で小学4年の小関孝徳君=当時(10)=が死亡した未解決ひき逃げ事件で、県警が紛失した孝徳君の腕時計に関する捜査書類を破棄したとして、公文書毀棄(きき)罪に問われた、県警交通捜査課の元警部補の被告(63)の第5回公判が3日、さいたま地裁(任介辰哉裁判長)で開かれ、被告人質問が行われた。被告は警察の任意聴取で犯行を自供した理由について、「警察OBとして、何とか後輩を守れればと思った。私が(罪を)被(かぶ)れば丸く収まる」と述べた。起訴内容については否認している。
腕時計の紛失は、2019年1月に発覚。被告は同年2月に県警の聴取を受けた際、「『仲間や後輩のせいにするのか』と言われて、何も聞かれても『そうです』としか言えなくなった」と証言。調書の中で記憶と合致しない点があったかと問われ、「書類を隠蔽(いんぺい)するためにシュレッダーしたと書かれ、捜査員と一緒に腕時計を探したことは書かれていなかった」とした。その上で「『あなたが全て一人でやったんだ』と言われた」と説明した。
一方で、腕時計の紛失に関しては「証拠品の管理は、熊谷署がやっている。署の誰かが返したと思っていた」と答えた。
起訴状などによると、被告は事件発生当時から、県警交通捜査課の警察官として孝徳君の事件を担当。証拠品として押収していた腕時計の紛失が発覚することを免れるため、15年9月、証拠品に関する書類2通をシュレッダーで破棄したとされる。
裁判を傍聴した孝徳君の母親は、「県警の下でやっていたことなのに、(被告は)自分には責任がなかったというのを印象付けているように聞こえた。真実はいつ話してくれるのか」と語った。