美空ひばりさんが感謝 会長が家庭教師の縁、戸田中央総合病院で遺品展示 長男・加藤さんが寄贈「お礼に」
戸田市本町の戸田中央総合病院の中村隆俊記念館(総合健康管理センター)に、戦後日本を代表する歌手・美空ひばりさん(1937~89年)の遺品を展示した「美空ひばり常設展示」が6月30日オープンした。同病院の創設者で戸田中央医科グループ会長の中村隆俊さん(93)は、青年医師の頃に、兄哲夫さん(板橋中央総合病院創設者)と弟秀夫さん(上尾中央総合病院創設者)と交代で、小中学生時代の3年間、ひばりさんの家庭教師を務めた縁を持つ。
テープカットには美空ひばりさんの長男、加藤和也さん(49)と有香さん夫妻が出席し「母の家庭教師としてお世話になった中村先生や、コロナ禍の最前線で闘う中央総合病院の方々へのエールを込めて母の遺品を寄贈します」と祝辞を述べた。
隆俊さんは地方巡業にも同行し、世話を焼いた。北海道出身の隆俊さんの自慢は「ひばりにアイススケートを教えたのは俺だ」。こうした縁で同記念館のリニューアルを機会に、和也さんが「お礼に」とひばりさんの愛用の和服1着などを寄贈した。
テープカットで、加藤さんは「母から『この方たちのおかげで学校を卒業できたのよ』と若き日の中村先生のお話はよく聞いた。小学校6年生から歌の道へ入った母は、小中学校の勉学の一番大事な時期に中村先生に教わった」と感謝の思い出を語った。
コロナ禍で、感染予防のためテープカットのセレモニーは簡略化。隆俊さんはリモートで画面越しに出席し「アイススケートを教えたときは何度も転んで悔しくて泣いていた。あの幼い天才、ひばりちゃんを思い出して胸が熱くなった」とメッセージを寄せた。
常設展示では、ひばりさん愛用の遺品の和服1着のほか、少女時代のノートや写真などが展示されている。
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【メモ】 隆俊さんは1950年北海道大学医学部を卒業し上京。4月から、東京医科大学でインターンとして働いていた。当時東京医科大学の医局勤務の医師だった兄哲夫さん、東京医科大学の医学生だった弟秀夫さんらと、牛込矢来町(現新宿区矢来町)で共同生活をしていた。
ひばりさんの家庭教師を引き受ける経緯について、隆俊さんによると、50年7月ごろ、渋谷の外科医院で当直勤務のアルバイトをしていた哲夫さんの誠実な人柄を見込んだ外科院長が「ひばりの家庭教師を探してほしいと頼まれている。やる気はないか」と持ち掛けられ、3兄弟で引き受けたという。当時はラーメンが1杯25円。哲夫さんの話によると、当直医のバイト代は1晩500円、ひばりさんの家庭教師の報酬は1時間1000円だった。