埼玉新聞

 

<聖火リレー>公道走れなかったランナー34人、東京都へつなぐ 聖火の重みかみ締め「幸せ」「頑張った」

  • 県内聖火リレー最後のセレモニーでステージに上がるSAITAMA PRIDEのメンバー=8日午後、さいたま市大宮区のさいたま新都心公園(代表撮影)

 東京五輪の聖火リレーは県内の3日間の日程を終えた。最終日の8日、新型コロナ特措法に基づく「まん延防止等重点措置」で、公道を走れなかった川口市とさいたま市の聖火ランナー計34人が、同市内で開かれた点火セレモニーに参加。トーチを持って約10メートルずつを走り、最後の東京都につないだ。

 中央大1年の浦田優斗さん(18)=狭山市出身=は、さいたま市で最後に走る10人のグループランナーの一人として参加した。父親の春生さんは1992年バルセロナ五輪の陸上男子1万メートルに出場したオリンピアン。優斗さんも小学生から陸上を始め、中学、高校で全国大会に出場、箱根駅伝の区間賞や父と同じオリンピアンを目指している。

 浦田さんは「僕にとって五輪は特別なイベント。父が出場した五輪に何らかの形で関わりたいと思っていたので、すごく幸せを感じている」。両親が会場に駆け付け、「すごく緊張して責任を感じたけれど、いざ走ってみるとすごく楽しめた。聖火の重みをかみ締めながら走ることができた」と振り返った。

 同じくグループランナーの一人、高校1年の戸田悠音さん(15)=朝霞市=は、聴覚障害者の両親の間に生まれた。自身は耳が聞こえ、「CODA(コーダ)」と呼ばれる存在。コーダとして生まれて良かったという思いを込めて、親指、人さし指、小指を立てる「アイラブユー」の手話を2回披露して走った。

 緊張のため頭が真っ白になり、手話をするのを忘れかけたが、父親の康之さんがカメラで撮影しているのを見つけて、われに返った。コーダの子どもたちに伝えたいという思いは「自分なりに最大限のことができた。多くの人に伝えられたと思う」。両親、弟、妹ら家族全員が会場で見守った。「恥ずかしさもあったけれど、人生一度だと思って、頑張った」。両親からは「良かった」と伝えられたという。

 元JリーガーでJ2大宮のクラブアンバサダーを務める塚本泰司さん(36)=川口市出身=も聖火を運んだ。右脚の骨肉腫を克服して、同じ病気の人に希望の光を届けたいと参加。「公道を走れずに距離は短くなったが、楽しく走ることができた。さまざまな意見はあると思うが、五輪を行うことで、日本、世界中を元気にすることができると思う。微力だけれど、参加できて良かった」と話していた。

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