埼玉新聞

 

関東一の祇園、完全復活 20日から熊谷うちわ祭 見どころの巡行祭は再び日中に開催 熱中症予防で休憩所も初めて開設へ

  • 熊谷うちわ祭のポスターを手に、完全復活での開催をPRする大総代の萩原直幸さん=熊谷市内

    熊谷うちわ祭のポスターを手に、完全復活での開催をPRする大総代の萩原直幸さん=熊谷市内

  • 熊谷うちわ祭のポスターを手に、完全復活での開催をPRする大総代の萩原直幸さん=熊谷市内

 「関東一の祇園」として名高い八坂神社大祭「熊谷うちわ祭」が20~22日、熊谷市の中心市街地で行われる。昨年は夕方だった21日の巡行祭を昼開催に戻すなど、新型コロナウイルス感染拡大前の2019年と同じ実施形態が5年ぶりに完全復活。一方、厳しさを増す酷暑を踏まえ、熱中症対策の徹底など新たな取り組みも進める。今年の祭りを取り仕切る年番町は第壱本町区。トップの大総代は、市内で税理士事務所を営む萩原直幸さん(67)が務める。

 うちわ祭は、熊谷市鎌倉町の愛宕神社に合祀(ごうし)された八坂神社の祭礼。江戸時代中期の寛延年間(1748~51年)に町内全体の祭りとなり、現在につながる形ができた。「うちわ祭」の名称は、明治35(1902)年ごろから料亭「泉州楼」の主人がうちわを配ったことに由来すると伝わる。例年、約75万人の観光客でにぎわう。

 コロナ下では、20年と21年が神事のみを実施した。22年は規模を縮小して再開。昨年はほぼ通常開催されたものの、祭りの見どころとなっている巡行祭は時間を短縮して午後5時半から行った。

 萩原さんは大役に、「皆さんの推挙があって務めさせていただける。たいへん光栄」と引き締める。泉州楼を開いたのは、萩原さんの曽祖父で7代目の半次郎。祭りの名前が生まれるきっかけをつくった先人の子孫が、ウイルス禍を経て再出発する節目の祭礼に新たな歴史を刻む。

 昨年はコロナの感染症法上の位置付けが5類に移行して間もないことや、熱中症対策もあって巡行祭を夕方にずらした。今年は従来通りの午後1時に開始。同6時からは、たたき合いを催す。萩原さんは「タイトな日程ではなく、最もうちわ祭らしい日をこれまでのようにゆっくり行いたかった」と説明する。

 ただ、かつての姿に回帰するだけではない。熱中症を予防するため、扇風機などを置き、冷水を提供する複数の休憩所を21、22日に初めて開設。救護所も2カ所に増やし、22日夜には熊谷市消防本部の救急救命士に待機してもらう。また、以前はなかった独自の警備計画書を作成。警察と連携して、運営側も雑踏警備を担うことになった。

 祭りでは、市内12町区が山車や屋台を巡行する。うち、8カ町が毎年交代で祭礼を統括する年番制が戦後の1957年に確立。古くから街の中心部だった第壱本町区は、先頭に立つ「魁(さきがけ)」の町区となっている。宮司からは今年の精神を体現する言葉として、「継往開来(けいおうかいらい)」が授けられた。「先人の事業を受け継ぎ、発展させながら未来を切り開く」との意味だ。萩原さんは「あるべき姿に戻しつつもリニューアルしなければ、持続可能な祭りにはならない」と責任感を口にする。

 うちわ祭が大好きで、小学校5年生から高校生の頃まで「神武おはやし会」に所属。大学進学で熊谷を離れたが、30歳の時に帰郷した。2003年に第壱本町区の総代の一員となり、再び関わり始めたという。萩原さんは「まちのエネルギーは、それぞれの町内自慢から来る。その自慢が表れるうちわ祭は、まち全体にとってパワーの源」と熊谷っ子の気概を示した。

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