意識不明…高3球児、飲酒運転の車にはねられる 帰宅せず探し回った両親、警察から妹に電話 搬送され意識戻らぬ日々 チーム仲間50人のビデオレター、耳元で聞かせると涙流れ…意識戻る 最後の夏、仲間と球場へ
18日に県営大宮球場などで行われた全国高校野球選手権埼玉大会3回戦。仲間が攻撃で活躍するたびに喜びを爆発させる西武文理高3年で記録員山口眞士(まなと)さん(17)は昨年11月、自転車で帰宅途中、飲酒運転の車にはねられ、2週間意識を失う事故に遭い選手を諦めた。意識を取り戻す大きな力になったのは仲間の存在。「自分の武器は声」。山口さんはベンチから声を出し続け最後まで戦った。
昨年11月8日午後10時ごろ、家にいた山口さんの妹が警察から事故の連絡を受けた。「眞士が運ばれた」。帰りが遅い山口さんを心配した父泰可さん(44)夫妻が探し回っていた時だった。
脳の損傷を受けた山口さんは2週間意識が戻らなかった。医師からは「ずっと目を覚まさないかもしれないし、人によってさまざま。声をかけてあげてくださいねと言われた」と泰可さん。コロナ禍やインフルエンザの流行から面会も週1回ほどだった。
チームメート約50人がビデオレターを作った。「一緒にまた野球やろう」「待ってるぞ」。意識のない山口さんの耳元で動画を聞かせるとチームメートの言葉に涙を流していたという。佐藤圭一監督(47)は「みんなでなんとかしようという気持ちだった」と振り返る。
動画を見せた翌日、山口さんは目を覚ました。主将の吉村勇希さん(17)は「『お前がチームにいないと成り立たない』と動画で呼びかけた。試合になると誰よりも声を出す。『お前ならできる』という(山口さんの)言葉に心が救われた」とも。
山口さんが学校に復帰したのは今年2月。3カ月間の入院期間中にスコアの練習を始めた。リハビリする中で左半身が動くようになった。泰可さんは「選手のときには野球楽しいってあまり聞いたことはなかった。スコアラーになってから野球が楽しいと聞いた」。
18日、チームは不動岡との対戦に敗れた。「いつも通りでいけよ」と声をかけ続けたが思いはかなわなかった。「選手たちはみんなまぶしかった。『眞士のために勝つんだぞ』って言ってくれて必死になってやってくれた」。
チームに戻り、一時は心が揺らいだこともあったという。最後の夏、自身の選択に悔いが生じる余地は見当たらなかった。