埼玉新聞

 

<東京五輪>恩師が涙「中学時代に驚き。感動ありがとう」…重量挙げ・三宅選手が引退 地元「お疲れさま」

  • 三宅宏実選手

 「満身創痍(そうい)の中、よく頑張った」「目標はやり遂げた」―。2004年のアテネから5大会連続で五輪に出場し、ロンドン(銀)、リオ(銅)に続いて3大会連続のメダル獲得を目指した重量挙げ女子49キロ級の三宅宏実選手は24日、ジャークを3回失敗し、無記録に終わった。2000年のシドニー大会を見てオリンピックを目指してから21年。35歳の小さな体にむち打って集大成として臨んだ東京大会に出身地の恩師らは、三宅選手の諦めない姿勢をたたえた。

 テレビ観戦した母校の新座市立第二中学校の3年生時の担任だった石井宇人さん(62)=東京都練馬区=は「自分の好きなことを20年間やり通し、本当にご苦労さまと言いたい。自分の目標はやり遂げたと思うので、今後はこれまでの経験を財産に生かしていってほしい」と話した。

 三宅選手が在学当時、同中学校の体育教諭を務めていた須賀由美子さん(63)=川口市=は「中学時代は普通の女の子で、アテネに出場した時は驚かされた。5大会での感動をありがとう、と言ってあげたい」と涙ながらに語った。

 父親でメキシコ五輪銅メダリストの義行さん(75)など三宅選手一家が家族ぐるみで通う新座市の中華料理店「チャイナドォル」を経営する小林圭子さん(64)は「諦めずに東京大会に出場することが宏実ちゃんの目的だった。腰などにけがを負った中でやり遂げたことにお疲れさまと言いたい」と話した。

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