埼玉新聞

 

266人死亡…熊谷空襲、終戦前夜に 星川で灯籠流し「熊谷が日本で最後の空襲の場所であってほしい」

  • 灯籠を流し、手を合わせる(手前左から)富岡清市長、藤間憲一実行委員会会長、大久保和政会頭=16日午後6時10分ごろ、熊谷市の星川

 終戦前夜の熊谷空襲で亡くなった人々を慰霊する灯籠流しが16日、熊谷市の中心市街地を流れる星川で行われた。

 1945年8月14日夜、米軍の焼夷(しょうい)弾で市街地の3分の2が焼失し、266人が命を落とした。灯籠流しは50年から始まり、毎年8月16日に実施。現在は実行委員会が運営しているが、今年は新型コロナウイルスの影響で、昨年に引き続いて関係者のみで規模を縮小して実施することになった。

 星川にある戦災者慰霊の女神像の前で、地元の石上寺と円照寺の住職が読経。富岡清市長や実行委員会の藤間憲一会長、熊谷商工会議所の大久保和政会頭、市内在住で遺族代表の原口明久さん(71)が灯籠を星川に流し、静かに手を合わせた。

 当時4歳だった姉の利子さんを亡くしたという原口さんは「これからも熊谷が日本で最後の空襲の場所であってほしい」と話していた。

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