埼玉新聞

 

<東京パラ>車いすテニス菅野、死闘の末に「江南魂」で銅 上尾出身 恩師「素晴らしい。本当に誇り」

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 東京パラリンピックの車いすテニスで、上尾市出身の菅野(すげの)浩二(40)、諸石光照(54)組が混合上下肢障害ダブルスの3位決定戦を制した。1日夜に始まり、雨天中断を挟んで2日未明にまで及ぶ死闘の末につかんだ銅メダル。サッカー少年だった菅野選手の恩師や共に汗を流した同級生からは「素晴らしい」「感動した」などと喜びの声が聞かれた。

 菅野選手は上尾市立大石南小学校から江南町(現熊谷市)立江南中学校を経て、県立騎西高校(2008年閉校)に進学。高校1年の時にバイク事故で頸椎(けいつい)を損傷し、首から下に障害を負った。20歳の時、知人から競技用車いすを譲り受けて車いすテニスを開始し、四肢に重い障害のある選手を対象にした「クアード」と呼ばれる現クラスに転向した。

 中学時代はサッカー部に所属していた菅野選手。外部コーチとして指導し、現在はクラブチーム「クマガヤSC」の監督を務める富岡信吾さん(50)は激闘を制した教え子を「世界で3位は素晴らしい。本当に誇り」とたたえた。

 フィジカルが強く、負けず嫌いで懸命に練習に励む姿をいまも覚えている。「レフティーで、非常にいい選手だった」。数年前、事故で車いすテニス選手になったことを聞いた際は驚いたが、「当時から勝負師の目だったが、状況が変わっても真摯(しんし)にスポーツに取り組んでいて、すごいなと思った」と感嘆する。

 「感動して涙が出てきた。菅野のあんなにうれしそうな笑顔は初めて見た」。菅野選手と中学時代の同級生で、サッカー部の主将だった鹿児島県在住の診療放射線技師宮脇孝二さん(40)は喜ぶ。中学校卒業以来は疎遠になっていたが、数年前に菅野選手から会員制交流サイト(SNS)を通して連絡があり、連絡を取り合うようになったという。

 3位決定戦後、SNSを通じて菅野選手を祝福すると、「キャプテンやったよ。江南魂見せられたよ」などと返信があった。菅野選手は、シングルスでも3位決定戦が控えている。「まだ次もあるから、もう1回感動を味わわせて」と連絡したという宮脇さん。「最後なので自分のプレーを出して、悔いが残らないように頑張ってほしい」とエールを送った。

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