<熊谷小4ひき逃げ>証拠品紛失で書類破棄「元警部補は迷って裁断と言った」 当時の取り調べ警官が証言
2021/09/07/00:00
2009年に埼玉県の熊谷市で小学4年の小関孝徳君=当時(10)=が死亡した未解決のひき逃げ事件で、県警が紛失した孝徳君の腕時計に関する捜査書類を破棄したとして、公文書毀棄(きき)罪に問われた、県警交通捜査課の元警部補(63)の第7回公判が6日、さいたま地裁(任介辰哉裁判官)で開かれた。
証人として当時、取り調べを担当した県警交通総務課の係長だった男性警部補が出廷した。18年12月の任意の聴取では元警部補が「腕時計を除いた書類をつくって、(腕時計を小関君の母親に)返したことにしようと思ったと話していた」と証言。腕時計を含む11点が記された書類をすぐに裁断しなかった理由については「法律違反に当たるので、戸惑った。迷った揚げ句、裁断したと言っていた」とした。
ただ、19年3月の取り調べでは「腕時計の紛失は知らず(誰かが)小関さんに返したものと思っていた。裁断したことは認めるが、あくまでも不要な書類として裁断したと証言していた」と、元警部補が認識を訂正したと説明した。
起訴状などによると、元警部補は事件発生当時から、県警交通捜査課の警察官として孝徳君の事件を担当。証拠品として押収していた腕時計の紛失が発覚することを免れるため、15年9月、証拠品に関する書類2通をシュレッダーで破棄したとされる。