<熊谷6人殺害>血が付いた妻子の服…悲惨さに夫が放心状態 事件から6年 警察にも落胆「無理がある」
熊谷市で2015年、小学生姉妹を含む男女6人が殺害された事件は今月、発生から6年を迎えた。妻子3人を亡くした男性(48)が、県(県警)を相手取って国家賠償請求訴訟を提起してからは3年が経過。3日には当時の捜査幹部の証人尋問が行われ、初めて公の場で事件を振り返った。「本当の部分が聞けなかった。何かを隠そうとしているように感じた」。男性は3人の命日である16日を前に埼玉新聞の取材に応じ、裁判で明かされた県警の対応に改めて疑問を投げ掛けた。
「事件の2、3日前に熊谷署から外国人がいなくなった。それを言ってくれれば、展開は全然違った」。男性は6年間、その思いをずっと抱え続けている。
妻の加藤美和子さん(41)、長女美咲さん(10)、次女春花さん(7)=いずれも当時=は15年9月16日、自宅で変わり果てた姿で見つかった。その3日前の13日、署から走り去ったペルー人の男=無期懲役判決が確定=による犯行だった。
県警は同月14日に市内で発生した殺人事件で、男を参考人として全国手配。さらに別の住居侵入事件で逮捕状を請求して行方を捜していた。男が署からいなくなったと明らかにしたのは、男性の妻子が殺害され、男の身柄を確保した後だった。
男性は18年9月、県警が事件の発生や不審者の逃走などの情報を住民に知らせることを怠ったとして提訴。以来3年間、争い続けている。
捜査や広報の責任者だった元熊谷署長と元県警捜査1課長=ともに定年退職=は今月3日の証人尋問で、防災無線の活用を「考え付かなかった」などと証言。署から走り去った男が事件に関与した可能性について、元署長は「多少なりとも考えた」、元課長は「結び付かなかった」と答えた。
また、事件が連続発生する危険性は「想定していなかった」と説明。事件を広報したことで、「新聞やテレビで大きく報道され、犯人が逃げた情報は伝わっていた。それを知れば(住民に)注意を払ってもらえる」と話した。
傍聴した男性は「警察として落ち度がないみたいな言い方に聞こえた」と落胆。無線の活用を「思い付かなかったと言うが、それはない」と検討しなかった点を追及する。
報道機関への広報で住民に事件が伝わったとする主張には、「無理がある。マスコミにも男を手配したことや逮捕状を取ったことは言っていなかったと思う」と指摘。「(男の逃走を)隠したかったのかな。殺人事件と関わりがあるかもしれないと思って必死に捜していたはず。近隣住民に言わないで、内々で進めて解決したかったのではないか」と疑った。
裁判を続ける中、今年春には県警が事件の証拠品として押収していた妻子の衣服や寝具など多くの品物が男性の元に返却された。衣服は破れ、血が付いており、「悲惨さが伝わってきて放心状態になった。3人とも苦しんで亡くなったのかな」。生きられなかった家族の無念に思いをはせた。燃やせるものはおたき上げで供養し、3人の血液や娘が大事にしていた縫いぐるみなどの遺品は大切に保管してある。
事件から6年が経過したが、男性は「ついこの間のような感覚」と打ち明ける。裁判では今後、自身も証人尋問に立つ見込みだ。「自分の思いも話したいし、(県警が)当時どういうふうになっていたのか、少しでも引き出せれば」。あの日から6年後の今も妻子のために問い続けている。